何故自分がこんな目に
長く働いていた会社で沢山の後輩を指導しました。同じ職場で働くのに辞められては自分も困るからと親切にしてきましたが、何故かいつも最後は私が嫌われ者になっていました。飼い犬に手を噛まれた感じです。
それなら親切にしなけりゃ良かったと思うことも多々ありましたが、良心が許さずそんな事はできません。
最後は居場所を失い退職しました。
そんな中、運良く転職が決まったものの、新しい職場では新人が馴染める環境なんて全く無く、先輩においても「自分が入社した時も苦労した」と言っては私にも同じ苦しみを味わわせたいのが丸出しで、毎日数名から嫌味や叱言を言われるか、業務指導において相手の立場に立ったような教え方をしてくれません。「私が指導者なら絶対こうするのに」と思う事の逆ばかりが起きて、なんて自分は不幸なんやろ?」と考える日々です。そういう指導者だった人がそういう扱いなら自業自得だとは思うけど、今までしてきた事が自分に返って来なさすぎて人生投げ出したくなります。自分にも非があることも重々承知してますが、何故自分ばかりこんな目に合うのか?と思って、毎日仕事を辞めたいと考えています。
仕事を辞めても転職後すぐ過ぎて次も決まらないだろうと考えると自分の人生に明るい未来が見えません。
毎日死んだ目をしながら肌の合わない会社に残る事が必要でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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相手の意志も相手自身も私のものではない
ご相談拝読しました。何だか報われない感じがしてお辛いのですね。そして今の会社に残るべきか疑問を感じておられるのですね。
私が偉そうに「こうしなさい」などとは言えないのですが一緒に考えてみましょう。
会社の後輩は飼い犬ではありません。意志を持った人間です。「それはたとえだから」と思うかもしれませんが、相手の意志や相手そのものは自分の所有物ではありません。どこかでその様に思ってしまう傾向はないでしょうか。
こちらがどう思おうが相手には相手の意志があるのです。それはこちらの納得以前のものです。
あなたが今の会社で先輩や指導者に色々思うように、あなたの前の会社の後輩も同じように色々思っていたのでしょう。
「でも私は相手の為に親切に…」とお感じかもしれません。そこが中々難しいところです。
>それなら親切にしなけりゃ良かったと思うことも多々ありました
というように私たちの損得勘定のモノサシはやはり自分中心です。相手の為のつもりがいつのまにか自分のことばかり考えるようにもなりますし、本当にこちらは良かれと思ってしていてもそれを相手がどう受け取るかはまた別問題なのです。
>何故かいつも最後は私が嫌われ者になっていました
ということはどこかでちょっと押し付けがましかったり、相手にこちらの思うところを求める度合いが強くなってしまったのではないでしょうか。
そういうギブアンドテイクではなく
>良心が許さずそんな事はできません。
とおっしゃるように、自分が為すべきことを為した方が気持ちが良くありませんか?
もちろん相手からの感謝や理解があればなお嬉しいですが、それは当然ではなく、はからずもこちらと相手が重なれたという有り難いご縁なのです。
>今までしてきた事が自分に返って来なさすぎて
という事は自分の行動には自信があるのでしょうが、もう少し自らを省みて相手のことを認められたならば、自分の至らなさに恥ずかしくなったり申し訳なくなったり思い、上記の様にばかりは感じられなくなるでしょう。
今の会社についてはどうしても合わないところで無理に頑張って身心を壊す必要はありません。しかしどこにいってもなんだかぶつかってしまったり、不満ばかりになってくる様でしたら、
相手に自分の思う通りの行動や反応を求めていないかな?
とちょっと立ち止まってみましょう。