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真言宗のお寺について

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

ハスノハには大変お世話になっています。いつもありがとうございます。いつかおきもちを少額ではありますが、寄付したいと思っています。

気づいたことがあるのですが、真言宗のお寺でお坊さんが本堂でお経を唱える際、いつもサブ席に座っています。そのお坊さんのお父さんは生前、仏様の目の前の本席に座っていたのですが、亡くなった今でもお坊さんはサブ席に座っていて、本席が空いている状態なんです。
どうして空けているのでしょうか。お父さんを尊敬しているから空けているのでしょうか、、


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのお坊さんに聞いてみると良いですね

なかなか回答がつきませんね。
曹洞宗ですが、多分だいたい一緒なので、曹洞宗として答えを入れますね。

 「サブ席」とは、本堂向かって左側の席の事を言っているのかな?
 その席は、磬子(けいす。ゴーンと音を鳴らす仏具)や木魚を鳴らす人が座る場所になってると思います。ひとりでお経を読むときは、そのような鳴らしものを鳴らす必要があるので、そこに座って音を鳴らし、お経を読んでいるものと思います。道具の配置の都合上そこにすわっていると想像します。
 一度そのお坊さんに聞いてみると良いですね。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

光禪さんご回答ありがとうございます。

なかなかつきませんでした笑笑
その中でご回答くださり感謝しています。

真言宗のサブ席は右側なんです。そして光禪さんの言う通り、仏具を鳴らす席でもあり、経典を読む席でもあります。
一人で全てを行うからその席に座っていたのですね。本席だと仏様の前ですので、ただ座ってお経を唱えることしかできませんね。

光禪さんのお考えが正解だと思います。気持ちがスッキリしました。本当にありがとうございました🙇🏻

🙏

「真言宗」問答一覧

真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ