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悟りを開くと、余計苦しみが増しませんか?

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有り難し有り難し 18

こんにちは。
色々と、仏教を学ばさせて頂いています。

ここの所、少し不思議に思うのですが、仏教の目指す境地は自他同一!との事。
自他の区別を無くして、他社の悩み苦しみもわが事のように受け止めるのが仏教者の理想との事。同事、とも言う言葉も知りました。

しかし、他人の苦しみもわが身の事として受け止めてしまうと、苦しみに押しつぶされるのではないでしょうか?
テレビやラジオをつければ、やり切れないニュースが流れます。
児童虐待で子を殺した親、親に殺された子。
災害で一夜にして家族全員を失った者。
世界中で終わらない紛争に翻弄される人々。
もっとも、不幸な事だからニュースになるのでしょうが。
Happyな事は、滅多にニュースになりません。

悟りを開いた仏菩薩なら(実際に居るとして)、世界中のニュースを
居ながらにして知れるので、もうそれは大変な苦しみだと思います。
私自身「もうたくさんだ!」と言う思いでテレビやラジオを切ってしまう事もあります。
人の苦しみを受け止めきれずに、目をそむけてしまってます。
仏教者失格だな、と自分で思います。

悟りを開くと、心の安らぎが訪れると言いますが、逆に世界中の苦しみが我が身に降りかかる思いではないでしょうか?
悟った人、あるいはそれに近づいている人は、このような事実から目をそむけず、自分も苦しみに埋もれない為には、どのようにしているのでしょうか?

抽象的な質問ですいません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えさせられます

確かにそうかもしれません。
世の人々の声無き声、時には断末魔さえも汲み取っていかなければいけない時もある、それが僧侶の道なのだと思います。
でも、それが私に託された使命、苦しくてもこの世で担ったひとつの役割だとするなら、「それ」を受け入れるしかないと考えます。
そしてそれは悟る悟らないにかかわらず、いち修行者として、今後もそういった世の中の汚泥に染まることなく、且つ逃げることなく、正面から立ち向かい、一所懸命に考え、ゆくゆくは僧侶としての血肉に変えていけたら良いなと、思うところであります。
昨今の目を背けたくなるような事件・事故・災害を見聞きすると、私に何ができるのだろうと、よく自問自答をします。私一人がこの世に及ぼすことのできる影響力は微々たるものかもしれませんが、自分なりの力と切り口で、身近な人達だけでも、今日を身軽に過ごせてもらえるように、今後も教化の活動を続けてまいります。

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現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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衆生病めば則ち菩薩も病み、衆生の病い愈ゆれば菩薩もまた愈ゆ

こんにちは。亀山純史と申します。

「衆生病めば、すなわち菩薩病み、衆生の病癒ゆれば、菩薩もまた癒ゆ。」(「維摩経」)
これは、「たとえば、裕福なる者のひとり子が病気になれば、そのためにその子の父母もまた病気になるのであり、その子に病気がなくならない限り、その子の父母も苦しむのです。それと同じように、菩薩は生きとし生けえるものをひとり子のように愛しています。生きとし生けるものが病んでいる限り、菩薩も病んでおり、生きとし生けるものに病気がなくなれば、菩薩にも病気がなくなるのです。」と説かれています。そして、菩薩におけるこのような病を起こさせている基にあるのは、「慈悲」だと説かれています。悟りを開いていない私たちからすれば、到底真似のできることではありません。でも、少しでもこのような人になれるようにと願うところに、仏教としての生き方があるのだと思っています。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

普伝院TAIKEN様
色々と理不尽な事故や事件のニュースは絶えませんね。
もういっそテレビもラジオも無い世界に行きたい位ですが、
やはり逃げてはいけないんでしょうかね。
かと言って私自身、出来る事も殆どありません。
せめて地に足をつけて、柔和質直を心がけ、
身近な者だけでも和顔愛語で和ませるよう心がけようと考えてます。
心中を率直に語ってくださった事、感謝致します。

亀山純史様
世界中の人の苦悩が無くならない限り病が癒えないなんて、
仏や菩薩は大変なものを背負い込んでるんですね。
もしかしたら、そんな大変な苦悩を抱えながらも、可能な限りの衆生を救いながら
快活に生きていくのが悟りなのかも知れませんね。
維摩居士の病が癒える事はあるのでしょうか。
貴重なご示唆、ありがとうございました。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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