因果応報が辛い
先月からお世話になっております。
きなこです。
先程ペットの愛猫が亡くなりました。まだ1歳でした。死因は貧血です。
実は同じ症状で7月から10匹亡くなっています。
私の家は多頭飼いですが、感染症とは違うみたいで原因はわからないそうです。
経済的にも余裕は無いのですが何匹か輸血もしましたが、皆亡くなりました。
病院の先生から経済的にも負担になるので、家で看取ればどうですか?と言われていたのに、もしかしたらと思い輸血して1匹で死なせてしまって後悔。
なので、全く同じ症状なので今回は家で看取りましたが、もっと経済的余裕があればとか、この子は輸血したら助かったかもとか、また後悔です。
後悔ばかりしてる私に、動物病院の患者さんが、もっと苦しむ事を言ってきました。
それは「猫は死ぬとき飼い主の不幸をしょえるだけ背負って逝く。人間の不幸は大きく重いので、足元がヨロヨロしながら進む。飼い主が悲しむと前に進めず立ち往生。」(まだ続きがあります。その方もネット上で見たそうです。
内容はあってますが、元のとは言葉が違うかもしれないです)
私は仏教徒です。何か文献で見ましたが仏教では、自分の不幸(悪いこと)は自分の行いが還ってきてる(因果応報)と書かれてました。
私の不幸(良くない事)は自分自身が引き起こしたのに、それを猫達が小さな肩に乗せて旅立つのは申し訳なさすぎです。
実際はどうかわかりません。そんな事無い!と言われるかもですが、猫達が何匹も亡くなって精神的に苦しい人には心に突き刺さる話でした。
私は愛猫達には幸せだけをもって旅立ってほしいです。
私に因果応報で還ってきた不幸の身代わりになってほしくないです。
病気の原因もわからないし、もしかしたら愛猫が3日に渡って1匹づつ亡くなった事や1ヶ月ちょっとで10匹亡くなった事が、私への因果応報ではないかと考え、ダメすぎる自分自身が嫌になります。
生きる必要ある?と最近よく思います。
読みづらく、乱雑な文面で申し訳ございません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そういうのを因果応報とはいいません
短い期間にたくさんの猫さんが亡くなってしまって悲しいですね。
あなたがどのような悪いことをしてしまったのかはわかりませんが、あなたが直接動物に危害を加えていないのでしたら、飼っている動物が死んでしまった事とあなたの行いには何の因果関係もありません。またあなたの不幸をペットが引き受ける事もありません。
(仏教で言う因果応報とはあなたの考えているような事をいうのではありません。理論的に科学的に証明されるような因果関係をいうのです)
私は専門家ではないのでわかりませんが、多頭飼いだったとの事で、もしかしたら、近親交配などにより、遺伝子的な掛け合わせに弱点が出たのかもしれませんね。
いつまでも悲しんでいては
「飼い主が悲しんでいると」という話は、もしかしたら、いつまでも悲しんでいてはいけないよと励ますための方便かもしれませんね。
だから、ネガティブにとらえない方が良いと思います。