死にたいという友人を何とかしたいです
Twitterの友人が、「死にたい」と言っています。
Twitterのみでの繋がりではあるものの、私はその人に生きていて欲しいと思っていますが、本人は「春にはもう死ぬことを決めている」と言っていて、アドバイスをしても、カウンセリングなどを勧めても、「もう諦めているから」と取り合ってもらえません。
原因は友人の家庭環境や私生活にあるようですが、詳しくはわかりません。
「努力嫌いで怠け者、根性なしの自分には、普通に働いて生きることが到底無理なことであり、生きる資格がない」と言っていました。
友人の家庭環境はあまり良くないようで、そのように自己否定してしまっているのは家庭の影響もあるような様子です。
過去に何かあったようで、友人は外で働くことが困難なようです。現在は家事をして過ごしているようですが、「ちゃんと家事が出来ているのだから、そんな否定しないで」と言っても、家族から、外で働いて稼げない人間に価値がない、というようなことを言われているようです。
どうしたら友人を救えるのでしょうか。
遠方のため直接会うことはできず、金銭的支援等は、私には家庭があるため難しいです。下手な励ましは逆効果になりそうで、何も言えずにいます。
このまま見ているしかないのでしょうか。
毎日、「どうやったら楽に死ねるか」と呟いている友人を見ると、つらくて仕方ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死にたい、と言うことで満たされること
とりあえず一言だけ言わせていただきますと、「かまうと逆効果」ということです。
さて、それは何故か。
人によっては寂しいと誰かに同調してもらいたくなったり、かまってもらいたくなる人がいます、私もです。
そしてその味を覚えてしまうと、ついついことある毎に要求します、その方の「死にたい」と言うことがおそらくそれです。
特にSNSで自分を心配してくれる人がいるとついそれに甘えまして、言った発言を見つけてくれればかまってもらえる、と非常に分かりやすいのでSNSを使います。
「春にはもう死ぬことを決めている」とおっしゃっているようですが、それだけ先に死ぬことを設定しているなら大丈夫かと思われます。
本当に死んでしまいたいと自分自身を追い込んだ場合、春とかそのうちとかでなく今行動します、もしくは行動しようとして怖くて出来なくなるか。
私も線路に飛び込もうと思ったことがありました、ホームに立っていて飛び込んでしまえば一瞬だと、考えたことがあります。
でもその勇気はありませんでした、自分で自分を殺す勇気がなかった、生きるしかなかった。
ここで通り魔が来て襲ってくれないかと思った、でもそんな都合の良い話なんてなかった。
「努力嫌いで怠け者、根性なし、普通に働いてもミスばかり社会不適合者、生きる資格がない」
さて、ちょっと変えましたが、まるで自分に言われているような気さえします、まんまこれが私です。
正確には「少し前」までの私です、「生きる資格がない」だけは今はついていません、それ以外は一緒ですが。
それでも図々しく生きさせていただいております、ほんと図々しいと思いながら生かしていただいております。
ですので、「かまわないこと」がその方の為であり、その方自身が成長するための薬です。
それと、どうやったら楽に死ねるか、に関しては教えてあげるといいでしょう、至極簡単です。
「老衰まで待て」、これに尽きます。
一度相談してみるよう紹介してみてください。
大抵は心が思っていても身体は生きる達人なんです
葛藤が心にあれど人間は身体が生き抜く術覚えたり
善い意思を持って歩めば困難も露と消えなん黙々と行く
人は皆心折れたり死ぬ死ぬと言ったりしつつ老いを迎える
精一杯みんな生きてる愚痴ばかり並べる奴は無視して生きん
与えられ処を得たる今生の縁ある人大事に生きん
質問者からのお礼
ご回答、ありがとうございました。
友人は死ぬことについてやたら冷静で前向きなので、どうにも心配してしまうのですが…、友人の生きる力(本能のようなものでしょうか)を信じて、見守ってみたいと思います。
雑談などをして紛らわせてみるのもよいのかも知れないですね。
私もあまり気にしすぎないようにします。ありがとうございました。