微妙な病苦
お世話になっております。
汗疱という症状を発症しました。ひどい手荒れのようなものです。
これ自体、命には関わりません。
手の皮が剥けて見た目がキモいです。
私の場合、痛みや痒みはそれほどなく見た目がキモくなります。
「完治」というと難しいみたいですが症状が出たり出なかったり、突然治ることもあるそうです。発症原因もわからないとこが多いようです。
命に別条はありません。
ただ見た目がキモくて自分の手を見るとブルーになります。
合掌すると手がガサガサして不愉快になります。
日常生活は多少困難にはなります。
今日も元気です。
いわゆる大病でも難病でもない
「微妙な病苦」
どのように扱えば良いでしょうか。
ご教授の程お願い致します。
貪瞋痴
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貴重な経験
下々衆生済度さん、はじめまして。質問を拝読しました。
下々衆生さんは汗疱を発症し、命の別状はないものの見た目がキモくてブルーになるのですね。
「微妙な病苦」 とはうまい表現ですね。感心しました。
たしかに汗疱は病苦ですが、発症した人にしか分からないことがあると思います。例えば、どんなことで日常生活に差し障りがあるのか、どういうときに症状が悪化するのか、気持ちがブルーにならないためにどんな対策をしているのか、など。つまり、同じ汗疱に罹患している人に共感できる貴重な体験をなさっているのではないでしょうか。
苦を共感することは苦を抜くことにつながり、楽を与えます。仏教では抜苦与楽(ばっくよらく)と言います。
楽を与えるのは病気が治ることだけではありません。病に寄り添い共感することも楽を与えるのです。
質問者からのお礼
中村様、お忙しい中ご回答ありがとうございます。
この状況、いい歳して自分の苦にばかり目を向けていました。
小学生の頃アトピーの子に対して何も思いませんでしたが今なら多少寄り添える気がします。
なってみないとわからない。確かに貴重な経験をさせてもらってます。
中村様のご回答を読んで普賢菩薩様のお話を思い出しました。
受けた苦や誹りに対し恨みや嘆きを持たず、人々の苦しみがわかったことで衆生救済を覚悟なさった。みたいな話。間違ってたらごめんなさい。
私の場合それほどのことでもないですがこの経験を活かして、
他人に共感し寄り添えるように精進いたします。
ご回答ありがとうございました。