お寺って嫁より大事なものですか?
私は今お寺を継ぐため完全同居しながら乳幼児の子供を育児しています。
舅姑は手が空いている時は育児を手伝ってくれており助かっていることもあり、感謝もしています。関係も悪くないかと思いますがお寺の為だと無理を強要させられているように感じることが多々あります。
小さいお寺で主人も兼業しており私もパートにでていますが、お盆の時期は私だけ一時間未満の買い物の許可がおりなかったり、産後一月ちょっとでお盆の間のご飯三食みんな分用意させられそうになったり(子供は基本私がみながら)。
朝からずっと授乳したり主人のご飯の支度や見送りなど乳幼児で手がかかるのに9時になるまでには少なくとも身支度整えてお客さんがきてもいいように、と言われたり。お客さんがよくくるならわかりますがお客さんはそんなにきません。
姑達がいないとかならわかりますが在宅しているときが多く、遅くとも10時までには身支度を整えているのになんでそんなに早く早く言われなきゃいけないんだろうとただただ疑問です。姑達は8時過ぎまで寝てるし、パジャマで朝ごはん食べたりしてるのになんで私だけ?って思ってしまいます。
そんなとき嫁の扱いなんてそんなものか、私よりお寺のほうが大切なんだろうなと思うと姑だけではなくお寺のことも憎くなっていきます。
私が喉風邪をひき微熱ですがしんどいときに、それでも姑はお客さんがくるかもしれないからできれば着替えてといいました。
冷えピタ貼ってマスクしながら息荒くしてる嫁の身体なんてどうでもいいのでしょうか。きついなか子供のミルクを作っている嫁よりも家のことがお寺が大事ですか?と。
姑もお寺のこともどんどん嫌になっていきます。
姑が体調崩した時私は優しくできるでしょうか?子供の為にも鬼にはなりたくありません。
お寺なら当たり前のことなんでしょうか?
たとえ具合が悪くてもパジャマのまま療養することさえお寺の人間なら許されないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お寺は”自分ち”ではありません。
<追記>
そこに住んでいるので、自宅といえば自宅かもしれない。
そこで収入を得ているので、職場といえば職場かもしれない。
でも、絶対に忘れてはならないのが【道場】であるという事。
お寺という所は、仏法を修める道場であるという本質を忘れてはならない。
お寺は住み込みの職場
お寺は、住み込みの職場ですよね。
コンビニ経営している家族が、コンビニの建物内に住み込みで暮らしているようなものです。
いつお客さんがきても良いようにしなくてはならないのは、その通り。
ただ、体調不良って年間数日間。
忙しいお盆なども年間数日間。
イレギュラーな数日間は、普段のルールを曲げてお互いフォローしあえば、なんとかなる。
「お寺も嫁もどちらも大事。だから助けあってなんとかするしかない。」のです。
で、実際には「なんとかなる」もの。
大事なのはコミュニケーションですよね。
旦那さんには、ご両親との仲介者として力を発揮してもらう必要があります。
旦那さんに頑張ってもらうのが良いです。
お寺に来る人達は、家族の死など人生最大のイベントで来ます。
兼業は大変ですが、職場とお寺とどちらが大事なのかも、考える必要がありますね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
お寺は自分の家ではない、その通りだと思います。
私は在家出身です。お寺のことをしらないなりに出来る限りのことをしてきたつもりですが、体調が悪くてもそれこそ身を削ってまで守るべき存在なのかわかりません。私にはお寺は職場なように感じます。職場なら体調が悪いときなどは休めますよね?そのような感覚なのですが、転落院様にとってお寺とはどんな存在ですか?