つい先日従姉妹の母親が亡くなりました。
つい先日に従姉妹の母親が亡くなり葬儀の手伝いとしてお通夜から告別式通して身内の死を考えながら過ごして自分で感じたことがあります。
それは悲しく無いことです、まぁ従姉妹の母親とは面識はあり幼い頃にお世話になって成人後は数年に一度会うぐらいでしたので思い入れが少なくそこまで悲しくはならないのかな?と思ってましたが。
仮に自身の親兄弟が亡くなった場合を想像した場合でも悲しい想像もできないのです、普段からは家族間の仲は悪くは無いですが亡くなった場合淡々と葬儀を終えてすぐ日常に戻れる事しか想像できません。
こういった人が居るというのは聞いたことがありますがどういった人がなりやすいのでしょうか?また、悲しく無いのは悪いことでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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涙よりも、亡き人へ礼節を尽くすことが大事です
自分の感情がどう動くか? わかるようで、わからないもんです。悲しくて涙が止まらないこともありますし、悲しいけれど不思議と涙が出ないこともあります。
自分の近い身内の例で言いますと、平成4年から24年までの20年間で私の実家の祖父母、両親、兄嫁の葬儀がありました。非常に悲しい気持ちにはなりましたが、涙があふれて止まらないということはありませんでした。自分でも「悲しい気持ちはすごくあるけれど、意外と涙は出ないなんだなあ。」と思いました。
檀家さんがお亡くなりになって、とても涙が出た時もあります。生前お寺のために尽くしてくださった方々ですから、悲しいですし感謝の気持ちも一杯ありました。
以上のように私の限られた経験で思うことですが、涙が出る出ないで、悲しみの深さを推し量るのは必ずしも妥当とは言えないのじゃないだろうかと言うことです。
淡々と見送るのが悪いということは無いと思います。泣くだけが悲しみの表現では無いですよ。葬儀や法事を行う場合、血縁関係の濃淡によって立場が異なってきます。参列し香典を出し弔意を表すだけの場合もあれば、喪主もしくは喪主に準ずる立場で葬儀や法事を勤めなければならない場合も、あります。其の時其の時の立場で亡き人に哀悼の意を示し礼節を尽くす。そのことに尽きると思います。