誰が死んでも何も感じない
現在33歳、自営業。
大学の時からお世話になっている、私に、本当にやりたいことで生きていくための、生き方や在り方を教えて下さった、メンターとして深い恩のある先生が亡くなった。
ショックではあったが、涙が一切出なかった。
先生には言葉で言い尽くせない恩がある。
私が何度引きこもってしまっても、決して見捨てず、私を信じ、見守って下さった。
いつ何時でも私たちを思いやり、命をかけて導いて下さった。
私の良いところをさらに伸ばすために、アドバイスを下さり、なかなか上手く出来ない自分にも、根気強く、出来るまで導き切って下さった。
そんな深い恩のある先生が亡くなっても、一切涙が出なかった。
おそらく親兄弟が死んでも、何も感じないと思う。
どこで誰が野垂れ死んでいようと、一切関心がわかない。
先生が亡くなって、涙が出ないことがショックだった。
今の悩みは、いつも「死にたい」という自己否定を感じていること。
本当に自殺したいわけではないが、行き辛さを感じている。
夢ややりたいことも無く、希望や楽しみも無い。
ただ死んでいないだけという状態。
どうすればいいか分からない。
ただ生きるのが辛い。
助けて欲しい。
「死にたい」という自己否定。 人と比べてしまい、劣等感を感じる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自他は2つでは無い
お世話になった身近な先生がお亡くなりになり、ショックだった。
自然なことだと思います。涙が出る出ないは個人差があります。泣けばいいというわけでは無いですから。世の中なんだか涙を流す人が良い人のような風潮もありますが、そんなことはないですよ。
ご家族が亡くなったらと、想像されているようですが、想像と現実は違います。その場になって初めて分かることもあります。後から感じることもありますし、今からそれを考えてもし方が無いですね。
人は考え方や理屈ではなく、体感して本当にわかるということがあります。
仏道はまさにそれです。口に物を運べば味がわかる。全身で理屈抜きでわかる。目を開けばものが見える。ありのまま優劣なしで見える。自分自身の様子として見ることができる。
テレビを見ているとき、見ているなんて感覚もなく、そこになりきる。気づいたら笑っていることもある。人が辛く悲しんでいたり痛そうにしていたら、こちらも辛くなる。
自他は2つでは無いです。別々のものではない。あなたが行動すれば変わることがあるように、物事の真理に目を向けていくと変わることがあります。
質問者からのお礼
邦元様
ご回答ありがとうございます。
仏道はとても現実的だなと感じました。
まだ起こってもいないことを、思い悩んでも仕方のないことだと、腑に落ちました。
体感して初めて分かるというのは、まさにその通りですね。
「口に物を運べば味がわかる。全身で理屈抜きでわかる。」
深く心に染みました。
ありがとうございました。