幼少期世話になった祖母の死回答受付中
こんにちは。 現在26歳の男性社会人です。
先日、母方の祖母が亡くなりました。84歳で病死(入院して闘病していた)
身内の人間が亡くなるのは初めてで、先日初めて通夜に参加し、葬儀が終わりました。その中で私の中に疑問があり。面識のある方には相談しずらいのでここで質問させていただきます。
結論から申し上げますと、祖母の死について全くなにも感じませんでした。ショックで動転している、現実感がまだない等ではなく単純に悲しくもなく、なぜ皆がそんなに泣いているのか分かりませんでした。
私の実家は祖母の家と近く、小学生までは毎週のようにご飯を作ってもらったりよくしてもらいましたし、いわゆるおばあちゃん子でした。
なのにも関わらず私は涙さえ出ず、あまつさえ私の職種の都合上決算期である今は繫忙期で、慶弔休暇を取るためにどのように調整するかの方が気がかりでした。
私は何かしら疾患があったり、異常者なのでしょうか。
このGWは友人、恋人と楽しく過ごしましたし、現在疲れストレス等の鬱のようなものではないと思います。
そして質問です。
私は薄情者なのでしょうか、又は精神異常者、ネットで聞くようなサイコパスなのでしょうか。
今までの生活でこのような周りとの意識の違いが大きく乖離することはなく、また人の死という大事なことで周りと違うことが心配で質問します。
上手くまとまらず拙い文章で申し訳ございません。
励ましや共感ではなく思ったことや質問に正直にご返事いただけたらと思います。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
迷惑を掛ける事が少なかったのです。
拝読させていただきました。
この度は、ご祖母様のご逝去に際しまして謹んでお悔やみ申し上げます。
「薄情者」なのでしょうか?
とあり、疾患やサイコパス的があるなど自身に対し、人格を疑っていることが今回のご質問の主旨であると思います。
近所に住み、ご飯やお世話になったのに感情が悲しみで湧いてこないのは、憶測となりますが、百夜さんが"世話の掛からない孫"であった可能性があるかも知れません。
近親者は葬儀時に涙の悲観にいることは、数えきれない苦労を掛けてしまったことを報いることができず、祖母様は祖母様の人生ではなく、我が子のために人生を注いだ人生であったことと、子ども(百夜の親など)たちは感じているから感情を制御できず涙が溢れています。
孫は我が子を通じて、いわゆる一つ飛ばしになるので、苦労から解放され「苦労を孫には見せない年齢」に達していることが通常の場合が多いものです。
孫を叱る機会も少なく、「私(祖母)がこの世にいなくなっても悲しまないような環境を作っていてくれたかも知れません。」これも憶測ですが。それぞれの家庭・家族の環境は異なることから。
ことわざに
「親思う心に勝る親心」とあります。
いくら金銭なども含め、親孝行をしても親が子を思う気持ちには勝ることはできないことですが、親が子を慈しむ思いは言葉で表現できないものです。
歌で流行りましたが、「トイレの神様」の詩をネットなどから見てみてください。
百夜さんと祖母様との遠い記憶の思い出から、ヒントになる"忘れていたもの"が見つかるかも知れません。
人は迷惑を掛けることは基本ダメなのですが、誰しも完璧な人はひとりも存在しません。何かしら世話を焼いては助けられた時の記憶が「感謝」となることが多いものです。
親孝行するときに既に親は他界しているのが大半です。
こうしてご質問していただけることは、他人を思いやる心の発起の始まりとなります。
20代後半から芽生えていく人が大半ですよ。
ですから、百夜さんの性格はいたって普通の感情です。
参考程度までに。
合掌
感情は様々。置かれている状況も違う。あなたが生きる場所も大切
祖母さまのご往生
謹んで哀悼の意を表します。
あなたの死別体験の感覚も、一つの感情です。身内を見送るということも、人生で初めてのこと。経験したことのない状況が起きた時に、気持ちより先に動かなければならないことや、通夜や葬儀の2日間の予定をどのように調節して空けるのか、関係者にどのように伝えるべきか…など、突然の事態に振り回されていくのも現状なんです。まさに、あなたは、そのような状況に置かれたわけです。
祖母さまは、あなたに身近な人で、大切な人に変わりはありませんよね。それでも悲しんだり涙が出るより先に、別のことに気持ちが向いたり、祖母さまの年齢的にも自然と死を受け止められたりと、心の状態を上手く消化できたのだと思いますよ。
薄情や異常ではなく、それも一つの捉え方なのです。
私は、グリーフケアの現場にいて、遺族会も開催しています。死別を経験した人が、自分の気持ちや亡き人へ想いを語られるのですが、本当に皆さん感情は様々なのです。一人として同じ人はいません。また、置かれている状況も違います。
今のあなたには、仕事があったり、大人として自立した環境もある。あなたが生きる場所であり、大切なものです。その場所(仕事や人間関係)を考えることに気持ちが向くのも、自然なこと。正常な反応ですよ。あなたのような感覚の人もたくさんいらっしゃいます。
ですから、あなたはあなたの形で、祖母さまを偲び、手を合わせていかれたら良いのですよ。
合掌
こんにちは
お祖母さまのご逝去にお悔やみを申し上げます。
お祖母さまが亡くなったけれども、悲しい気持ちにならない自分が異常ではないかと思っているのですね。
人が悲しいという感情を持つのは、喪失感を感じた時のようです。今は悲しくなくても、ある時ふと「おばあちゃんの作った料理が食べたい」「おばあちゃんの声が聞きたい」などと思う瞬間があると思います。そんな時に「ああもういないんだ」と本当に実感したときに悲しみがやってくるものと思います。
さて、東南アジアを中心に、お葬式の時に「泣き女」という習俗があるのをご存じでしょうか?これは、親戚などではなく仕事としてお葬式で大声で泣く人を雇うものだそうです。泣くことで故人の徳を示すためとされていますが、ご遺族や親戚がちゃんと泣くことができれば、そのような仕事は不要なはずですが、わざわざお金を払って泣いてもらう仕事があるという事は、古来よりお葬式できちんと泣くことができない遺族が多くいたのではないかと想像できます。
このような事からも、お葬式で悲しくない、泣けない、という事はびっくりするほど異常ではないと思いますので、あまり気にすることはないと思いますよ。もしかしたら急に泣きたくなる時がくるかもしれません。