hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人生の充実とは何か教えてください。

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

満たされない…なんでもそれくらいが丁度いいのかと思っています。
毎日仕事をし、祈り、写経し、寄付をし…私だけの喜びを増やしています。
しかし、その喜びは私のエゴであって、そのエゴを脱却した先の本当の利他を体験したいと思いました。私が生きるということで誰かに必ず助けていただいてる部分があります。仕事をし、祈れたり写経できたり、寄付をできたりする自分であるために、誰かがどこかで支えてくれたりと思うと、自分のエゴのために申し訳ない気持ちで苦しくなります。かといって死を選ぶこともできません。どうすれば、このエゴから逃れられますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

慈・悲・喜・捨

まめまる 様 相談ありがとうございます。
「…私だけの喜びを増やしています。その喜びは私のエゴであって、そのエゴを脱却した先の本当の利他を体験したいと思いました。」
つまり、自己犠牲をしてまで他人に尽くしたいということでしょうか?
それが、満たされたることなんじゃないかと、思っていますか?

仏教には、慈・悲・喜・捨(ジ・ヒ・キ・シャ)という言葉があります。
慈は、 あらゆる人に深い友愛の心を限りなく配ること。
悲は、 あらゆる人と苦しみをともにする同感の心を限りなく起すこと 。
喜は、 あらゆる人の喜びをみてみずからも喜ぶ心を限りなく起すこと。
捨は、 いずれにもかたよらない平静な心を限りなく起すこと 。
という意味ですが、このようなお気持ちを持たれて、お祈り、写経、寄付をなさればよいかと思います。
このことの総称を「四無量心(シムリョウシン)」と言いますが、無量の人々に分け隔てなくそのような心を起こしましょう、ということでそういいます。

分け隔てなく、心を起こすのですから、他人も私もです。
そうです、まめまるさん(の自己)もです。
あなたは、私だけの喜びと思っているようですが、四無量心に相応しい行いをしているんじゃないですか?
気が付いてないだけです。あなたは四無量心に相応しい心持で、お祈りし、写経をされて、寄付しておられます。安心してください。自分の喜びとしてそれを分け与える行為です。
どうぞ、無理のない範囲で、これからも、お祈り、写経、寄付をされてください。
エゴから逃れるのではなく、エゴ(自己)が他人と共有できる、喜びに変わるのです。
ご参考にしてください。
一礼

{{count}}
有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

釋 孝修様…
お答え、ありがとうございました。
いつもエゴや自己満足ではないのかと罪悪感を持っていました。
誰かのためになりたい…そんな大きなことを思ってしていたつもりはなく、
私が社会に出て、いろいろな方に支えていただけたり…その時の素敵な気持ちをおすそ分けできたらと思っていました。
お教えいただき、ありがとうございました…。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ