hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

これ以上生きたくありません。

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

22歳の学生です。これ以上生きる意味が分かりません。
今まで生きてきていじめやうつ病など、本当につらいことばかりでした。
生きててよかった、心から楽しかったということが本気で何一つ思い出せません。どうしても思い出せないんです。
22年間で一つもないのにこれから何かできるものなのでしょうか。
あと、「よく学生時代が一番楽しい」と耳にします。
これまでがこんなにつらかったら、これからを考えると絶望しかありません。うつ病も治っていませんし。
楽しいこともなく、つらいことばかりなのにわざわざ苦しんで生きる必要があるのでしょうか。世の中には生きたくても生きられない人がいる、というのは重々承知していますが、毎日死んだ方が良いのではないかと考えてしまいます。
うつ病のこともあり、本当に、本当に毎日がつらいです。生きたくないです。死んだら楽になれるものなのでしょうか。
ご回答お願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何か大きなはたらきの中に、自分の人生をゆだねている生き方

こんばんは。亀山純史と申します。

辛いことばかりが思い出される人生において、私からの回答が少しでもお役に立てればと思い、私の回答でよく使わせていただいている村山聖棋士のお話をします。

村山聖(さとし)九段という将棋の棋士をご存じでしょうか。彼は五歳のときに腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかり、もはや外で走ることもできなくなります。そこで、父は息子に病室で将棋を教えるのです。そして、病と闘いながら、「東の羽生、西の村山」と並び称される棋士へと成長していきます。しかし、彼が27歳のとき膀胱に癌が見つかり、1998年の夏、29歳という若さでこの世を去ります。 そのような彼はいくつかの言葉を残しています。

「ネフローゼという事を短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切だと思います。私自身も修行時代、もし健康だったらと思うことはありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」

「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」

彼が残した言葉は他にもありますが、彼にとっての人生は、一般的に考えられる「幸せ」を求めるものではなかったのです。彼にとって、「人生とはこうでなければいけない。」という固定した考えはなかったのでしょう。彼の生き方は、何か大きなはたらきの中に、自分の人生をゆだねているかのような生き方に思えるのです。仏教的に言うならば、仏様のはたらきの中に身をゆだねる生き方、とでも言える人生だったと思います。

小説『聖の青春』のあとがきに「聖のこと」と題して、父親の村山伸一さんの文章が掲載されています。私がこの回答でご紹介した言葉もそこに紹介されています。もしよろしければ、一読してみてはどうでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ