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これ以上生きたくありません。

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22歳の学生です。これ以上生きる意味が分かりません。
今まで生きてきていじめやうつ病など、本当につらいことばかりでした。
生きててよかった、心から楽しかったということが本気で何一つ思い出せません。どうしても思い出せないんです。
22年間で一つもないのにこれから何かできるものなのでしょうか。
あと、「よく学生時代が一番楽しい」と耳にします。
これまでがこんなにつらかったら、これからを考えると絶望しかありません。うつ病も治っていませんし。
楽しいこともなく、つらいことばかりなのにわざわざ苦しんで生きる必要があるのでしょうか。世の中には生きたくても生きられない人がいる、というのは重々承知していますが、毎日死んだ方が良いのではないかと考えてしまいます。
うつ病のこともあり、本当に、本当に毎日がつらいです。生きたくないです。死んだら楽になれるものなのでしょうか。
ご回答お願い致します。

2019年11月14日 23:37

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何か大きなはたらきの中に、自分の人生をゆだねている生き方

こんばんは。亀山純史と申します。

辛いことばかりが思い出される人生において、私からの回答が少しでもお役に立てればと思い、私の回答でよく使わせていただいている村山聖棋士のお話をします。

村山聖(さとし)九段という将棋の棋士をご存じでしょうか。彼は五歳のときに腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかり、もはや外で走ることもできなくなります。そこで、父は息子に病室で将棋を教えるのです。そして、病と闘いながら、「東の羽生、西の村山」と並び称される棋士へと成長していきます。しかし、彼が27歳のとき膀胱に癌が見つかり、1998年の夏、29歳という若さでこの世を去ります。 そのような彼はいくつかの言葉を残しています。

「ネフローゼという事を短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切だと思います。私自身も修行時代、もし健康だったらと思うことはありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」

「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」

彼が残した言葉は他にもありますが、彼にとっての人生は、一般的に考えられる「幸せ」を求めるものではなかったのです。彼にとって、「人生とはこうでなければいけない。」という固定した考えはなかったのでしょう。彼の生き方は、何か大きなはたらきの中に、自分の人生をゆだねているかのような生き方に思えるのです。仏教的に言うならば、仏様のはたらきの中に身をゆだねる生き方、とでも言える人生だったと思います。

小説『聖の青春』のあとがきに「聖のこと」と題して、父親の村山伸一さんの文章が掲載されています。私がこの回答でご紹介した言葉もそこに紹介されています。もしよろしければ、一読してみてはどうでしょうか。

2019年11月16日 21:58
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有り難し
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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

「生きるのが辛い」問答一覧

生きることが辛いです。

初めまして。 悩みを誰かに相談することがこれまで無かったため、読みにくい文章になりますがよろしくお願いします。 自分は恐らく発達障害、adhdと呼ばれる人間の1人です。興味のないものに集中ができない、衝動的、注意散漫、忘れっぽい、頭の回転が遅いといった特徴を持っています。病院での診察は受けていませんがそれすらも面倒臭がっています。 この特徴から、これまでの人生様々な失敗をしてきました。これらの特徴を自覚はしているので、それなりに対策はしてきました。ただそれでも失敗をしてしまう時が多々あります。 その度に「なんでこんな簡単なことが出来ないんだろう」という心の声に押し潰されそうになります。この心の声を聞くことがとても辛く、悔しいです。気楽にいこうと自分に言いかせても、どうしても自分を責めることがやめられません。 失敗に恐怖するあまり、成功にすら大して喜ぶことが出来なくなってしまいました。心の中で「こんなこと出来て当然だ」と思ってしまうのです。どんどん自分のことが能力、性格含めて嫌いになっていきます。 こんな自分を変えて穏やかな心で人生を歩む方法はあるのでしょうか。 愚痴のようになってしまい申し訳ありません。 ご回答頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

本当は生きたいんです。

まず、この質問をお読み頂くことで貴重な時間を浪費させてしまうことになってしまうのですが、話す相手などがいない惨めな私の考えや、悩みをここに書かせてください。 私は2月の末に自ら命を絶ちます。 ご理解頂きたいのは自死についての否定をして欲しいわけではないと言うことです。 今まで私は自傷行為や自殺未遂をしてきました。 リスカ、レグカ、ピアッシング、瀉血、od、手がパンパンに腫れるくらい壁を殴ったりもしました。 自殺しようと首吊りをしてみましたが苦しくてすぐやめました。失血死を狙って瀉血したものの生き延びてしまった。飛び降りしようとしたら警察に保護されました。 自殺が未遂に終わって、私は考えました。しっかり計画して確実な死に方で死のうと。 それまでは市販薬やリスカでがんばろうって。 高校は中退、バイトは店長に2ヶ月の休暇を勧められ休んだままずっと行っていません。 いわゆるニートです。 文字数制限の為詳しいことが書けませんが、私は人間の底辺でどうしようもないゴミなのです。母にとっても邪魔な存在ですし。 最初は死にたいから自傷行為をしていたのに今はただ自分を傷つけなきゃいけないから傷つけて、生きていちゃいけないから死ぬんです。 死にたいとは違う感情なんです。 死ななくちゃいけない訳でもないんです。 ただ生きられないんです。 だからせめて残りの数ヶ月は産まれてきてよかったと思えるように過ごしたいです。 自然と笑顔になれるような場所や生きている実感をえられる瞬間など教えて頂けますと幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 68
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何もかもが嫌になって辛い…

もう数日したら学校が始まってしまいます。 私はこの休みの間にクラスメートの一部の人といろいろなことがありました。 そのいろいろなことがあった影響でか、、学校行くのが嫌だなという気持ちが強いです。 そのせいか最近は休み明けの学校で自分はどうなるのだろうということで頭がいっぱいになって夜も眠れません。 好きなことして切り替えようと思っても、頭の中に学校のことがよぎってしまいます。 別に休み前に友達がいなかったから学校が嫌だというわけではありません。むしろ、毎日が楽しい生活でした。ですが、休みの間に起きたいろいろなことの影響で休み前に仲良くしてた子達からハブられたりするのが怖いんです。 もしかしたら、休みが終わって学校に行けば一人ということになりそうでほんとに怖いです。 よく昔からの友人に相談するのですが、その仲よかった子達を信じたら?と言われますが、私はどうしてもその人たちのことすらも信じることができません。 仲良くしてるのに信じれないって自分ってほんとに最低な人間だとつくづく思います。 別に信じたいという思いはあるんです… ですが、散々裏切られ続けてる人生なので正直信じようにも信じられない自分が嫌です。 もうこの休みをきっかけにいっそのこと学校やめて、もうこの世からいなくなりたいと思ってしまうほどです。 でも、やめたいなとか思うたび、自分が頑張って入った学校だし、親に迷惑かけたり、心配させたくないからという思いが浮かびます。 どうすれば自分の心が少しでも軽くなりますかね?どうしたら、人を信じることができるようになるんですかね? 自分がほんとにこのまま進めば壊れていく気がしています。 なにかお言葉をこんなダメな私にください。よろしくおねがいします。 長文失礼しました。

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