憎まれっ子世にはばかる
憎まれっ子世にはばかるということわざの通り、人に嫌われる様な事を平気でする人間は本当に長生きしますか?
そういう人間が家の中にいると、いつ嫌な事をされるのか、攻撃される前にどうこちらから攻撃してやろうかなと、無視で考えなければいいはずの事をどうしても考えてしまいます。
放っておけば先に逝くのだし、近寄らず、波風立てなければいつかはいなくなるのに、どうしても憎くて今まで散々傷付けられてきた事に対して懲らしめてやりたくなってしまいます。
そんな人の事を考えるだけで無駄な時間を過ごしているのに。
楽になる心の持ち方を教えてください。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ざまあみろ!と言いながら、 仏様に大事にされる あなただよ◎
そうだね〜 嫌な人が、どんな状況になれば、ざまあみろ!と思えるのでしょうね。
いっときは、気が晴れるかもしれません。(私もそんな気持ちになるときがある)
ただ、仏様に向き合うと、「様を見ろ」と自分に返ってきます。醜く情けない私に気づかせてくださる。
「そんな あなただから、気にかけているよ」と。心配してくださる。
仏様に打ち明けて、私の気持ちをわかってくださるのなら、それでいいやって。
先に気が晴れちゃう。
不思議なものです。
あなたが、毎日 悔しい気持ちでいること、わかっていますよ。
家族のために一生懸命に生きてきて、振り回されて。もぅいなくなってほしいって、望んでしまうことも。ちゃんと見ていてくださる。
ざまあみろ!と言いながら、
仏様に大事にされる あなただよ◎
決して、見捨てはなさらない。
聞いていただこう。
悔しさも憎さも。
ちゃんとわかってくださるよ。
私もいるからね(﹡´◡`﹡ )
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
ざまあみろ!は、様を見ろ!なんですね。醜く情けない私ですね。
仏様は私のことも見ていてくださるのでしょうか。お仏壇の仏様でしょうか?
私には手を合わせられるお仏壇がありません。実家にはお仏壇はなく、本家とも疎遠で手を合わせに行った事がほとんどありません。
義両親の部屋にはありますが、夫のお兄さんのお仏壇なので義父をお守りしているのだと思います。
私はどちらの仏様に見守って頂けているのでしょうか。