本当の自分を出すことは絶対に無理なんです
私は物心ついた時から引っ込み思案で「おとなしい人」として集団に属してきました。
けれどこれは本当の私ではありません。家の中だけで私は本当の自分でいられるのですが、外とは真逆で大声でふざけとことも言うし家族からはうるさい!と呆れられるほどです。自分でもゾッとするほど外では性格が変わります。
社会人になった今もそうです。家を出ると積極的に声を出すという思考が無くなるんです。意味が分からないと思いますが、人と関わることから徹底的に逃げ続けた結果、話しかけられない限り無言で過ごすことが普通になったからだと思います。本当の自分を隠しているわけでもありません。
家では思ったことを声に出すのが普通なのに外では全て飲み込めてしまうんです。思ったことを言う思考が無くなるんです。言いたいとも思いません。
性格が変わることはないです。中学デビューから社会人デビューまで成功したことはありません。4月に入った職場でも「おとなしい人」として定着していると思います。
でも羨ましくてしょうがないです、楽しく雑談している人や言いたいことを言える人が。そういう人には人が集まってくるので。先輩にどんどん話しかけて気に入られている同期が羨ましくてしょうがないです。
「それなら性格を変えるしかない」
ごめんなさい、今はその言葉はいらないです。私は変わるチャンスをことごとく捨ててこの性格でいることを選びました。
そんな私が羨ましいとかどの口が言ってるんだって話ですが、割り切る方法を知りたいのです。職場においてです。
中高大からの友達は少ないですが、そっちを大切にしていけばいいのかなと思いつつ……でも職場で過ごす時間が圧倒的に長いので毎日自己嫌悪の繰り返しです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分自身を受け入れる
拝読させていただきました。慈陽院の平本と申します。
今回は、外の自分が家の中の自分のようになれないことで悩んでいる感じでしょうか。
まず、いそらさんは、空気を読む力や相手に不快な思いをさせたくない気持ちが無意識に過剰に働いてしまっているのかなと思います。
そして家族の前では、家族がいそらさんを受け入れてくれることで、オープンな感じになれると思います。
そして外に出たときは、いそらさんを受け入れてくれる人がいないことで、うまくオープンになれないのではないかと思います。
誰でも最初は、気の知れない人に声をかけるときは、勇気がいりますが、いそらさんの場合は、無意識に不安を感じることで勇気がでないのかなと思います。
そんな、いそらさんには「自分自身を受け入れる」ということをオススメします。
それは、どういうことかと申しますと、うまく人と関わることができない自分を受け入れることです。
人は、理想と現実の差が大きくなれば、なるほど大きく悩みます
そして理想と現実の差を埋める方法は、二つあります。
一つは、理想に目指して邁進することです。
そしてもう一つが、今ある現実を受け入れることです。
他人と比べず、ありのまま、あるがままの自分を受け入れるのです。
かなり難しいことですが、受け入れることができれば今とは、違った心境になってきます。
仏教ではありませんが、論語に「巧言令色鮮し仁」という言葉があります。
巧言令色鮮し仁とは、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳や思いやりの心が欠けているものだということです。
コミュニケーションも大事ですが、本当に大事なことは、他人を思いやる気持ちであったり、どんな人を受け入れる優しさなどの思いの部分が、人として大事であり、私はそういうところを大事にしています。
そういう部分を大事にしていただければ、例え人と関わることが苦手でも私は、素敵だと思います。
他人と比べず、自分自身を受け入れてみては、どうでしょうか。
うまく伝わったか分かりませんが、参考になれば幸いです。