中学生の頃の決意は消えてしまった
こんにちは。中2のとき「ガールズ・ビー・アンビシャス」という本を読んで衝撃を受け、将来は仕事を持って(公務員か教員がいいな、と思っていました)母のような内職ではなく、とにかくちゃんと働きたい、そのためには大学にも行きたい、と思っていました。
ところがまず、行きたかった進学校へはうちは貧乏だから定期代が出せないからやれない、市内の高校へ行け、と言われ、意地になって勉強してトップ合格しました。で、結局は中学生のころから決めていた大学に入り、教員採用試験にもストレート合格しました。
ところが高校ではなく中学校に配属され、今でいうブラックな中学校でした。荒れに荒れていました。生徒にけがさせられたこともあります。職員室の雰囲気も殺伐としたもので、私は生徒同士のトラブルの対応がまずく、学年主任に「あんたの社会性は中学生並」とまで言われました。「、、、(具体的なタイトルは忘れましたが)自殺読本」とか「、、、失踪読本」とかいう本を買ったのがこのころです。やがて異動し、落ち着いた学校だったのでやれやれ、ということでちょうどいいお見合いの話があり、結婚しました。すぐ、年子の子供もできて大変でしたが産休と育児休業を取ったことで仕事を失わずに済みました。
ところが、育休明けに躁うつ病になり、3年休職して35で退職。それからずっと家にいます。精神科入院回数多数。自傷行為多数。診断書を見たら、「簡単な家事程度はできるが気分が変わりやすく、定期的に就労することは難しい」とありました。おちついてきたのはここ3年ほどのことです。
薬のせいか、病気のせいか、集中力がなくなっていて田舎なのに車の運転ができなくなりました。漫画も読めません。趣味は、大学からの合唱が続いていますが、ほかにも時間を埋めようと公民館でお茶を7年前から(休みがち。もうやめたい)、香道を月1回(来年度お茶をやめたらまた香道を復活しようと思っています。)精神科の主治医には、家でできる趣味を勧められています。
今頃はバリバリ働いていたはずが、、、世間に申し訳ないです。車の運転ができないことで、まともな人間ではないようです。
他人の成功に嫉妬してしまう。ダイエットとか、子供の就職とか。
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経験に即した共感が他の人の役に立つ
私は中学生の頃、怪獣映画のスーツアクターになるか、その造形師になりたいと思っていました。大学に入って漠然と研究者の道も良いかなと思うようになり、いったん就職した仕事をやめて大学院に戻り修士修了まで行きましたが、その後の展望が持てずに、結局実家であるお寺にもどってお坊さんになりました。
当初予想から行くと今のところ打率1割以下、得点なしといったところです。
しかし、それらの経歴について全く不満かというとそうでもありません。
家庭があり、子供もあり、同じお坊さん同士の交流もあります。そういう中で、自分が当初予想とは違う道筋に進んだ経験から、「こうした方がいいよ」とか「それはこういう意味だと思うよ」と子供や他のお坊さんの相談にのったりアドバイスできることもあるからです。「こうすれば上手くいく」「絶対成功するコツはこれ」というお話しよりも、「こういう思わぬ壁もあるんだよ」とか「こういう落とし穴には気をつけて」というアドバイスの方が、実際には役に立つような気がしています。
努力されて立派な結果を出されていても、必ずしも当初予想のとおりにはいかない、というのは誰の人生にも多かれ少なかれ当てはまることではないでしょうか。子供や後輩や知人がそういう壁にぶつかったとき、実体験に即して共感することができるのであれば、予想とは違った経歴も無意味とは言えないと思います。
焦ることなく、慌てることなく、自分の経験が他の人の役に立ちそうな場面に遭遇したら、共感をもってお話しをしてあげるということも、広く世間に対して大きく役立つことだと思います。
質問者からのお礼
百目鬼様、ありがとうございました。私も打率1割以下得点なし(うまい言いかたですね!)といった人生です。成功(教員を務めあげる)ことだけが社会参加ではなく、自分が壁にぶつかったことから子供、知り合い、後輩の役に立つことができるとは目から鱗でした。今、子供たちが就活で苦労していますが、挫折した母親として、何か言ってやればいい、もっと子供たちを信頼すればいいと思いました。