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母が亡くなってからの行動

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有り難し有り難し 20

はじめまして。宜しくお願い致します。昨年、数年間ガンの闘病をしていた母が亡くなりました。お医者様から余命半年と言われていたのですがそれ以上に生き、最後の最後はすごく辛かったと思いますが、それでも母と少しでも寄り添えて良かったと今では思っています。
今は父と二人で生活をしているのですが、度々親戚が手助けをしてくれます。片付けや料理など。助かっている部分もあり、相談に乗ってくれるのでとても感謝はしています。

その親戚は昔から神様や仏様を大切にしてきた方で、母が亡くなってからは私に同じように諭してきます。
私自身どうしたら亡くなった母やご先祖様が満足するかわからないなりに、毎朝晩お水やお茶を変え、炊きたてのご飯あげ、月命日には新鮮な果物、頂いたお菓子などをあげ、毎日お経を1時間(朝晩30分ずつ)あげています。

どのぐらいあげれば良いのかわからないなりにやってはいるのですが、最近不安に思うことが増えたり、身体を壊したりしています。その事を親戚に相談すると「供養が足りない」と言われ続けます。

この「供養が足りない」とは、私は何が足りていないのでしょうか?
お経をあげる回数や時間が足りないのでしょうか。お経をあげている時の気持ちがこもっていないからでしょうか。
正直今までと生活が変わり、私が家事全般をし、新しく仕事も始めたので不安で精神的ストレスが溜まっています。まだ20代で結婚相手もおらず、自分の今後の人生も不安でいっぱいです。最近では親戚と話すのも嫌になってきてしまいました。私の為を想って言ってくれているのはわかるのですが、それでも辛いです。どうしたら良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなた自身が救われることをお母様は望んでいる

親戚のいう、供養が足りないは、なんの根拠もないでしょう。あなたは十分すぎる供養をしています。

供養が苦しみになっては意味がない。あなたの生活の中で少し、でも、世のため人のためになるようなことをしたらいいのです。お母様の言われていた教えを実行すればいいのです。お今日は時間ではない。本来の供養はあなた自身が救われる行です。

親戚には言わせておいて、あなたは、供養はしっかりやってますと伝えてあげたらいい(^-^)

あなた自身が救われることをお母様は望んでいるはずです。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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供養は、愛情表現に似て、いろんなカタチがあります。

こんばんは。

みどりさんが、「元気で幸せに生きて行く事」それこそが、お母様の供養、成仏につながるのではないでしょうか。

お母様を亡くされてまだ日が浅いので、致し方ない事ですが、最終的には仏壇や墓前、或いはお母様を思うとき、

「私はこんなに幸せに生きています。お父さんには見せてあげれたけど、お母さんにも見せてあげたかったな。どうか、見えないところから見守っていてね。(泣き笑い)」

と、言える、思えるくらいの豊かな心が持てるようになれたらいいですね。

みどりさんの煩悩の一つ、何か言われると反論してしまうとありますが。
お母様を送ってからの、新しい生活環境において、親戚の方のお節介に感じてしまうのは致し方ない事です。
正直、「供養が足りない」という意味、私も不明です(笑)

供養って、愛情表現に似て、いろんなカタチがあります。
お経読む、お供えするだけが供養ではありません。勿論、それぞれ、尊い行いではありますが。

僕たちお坊さんの根底は、お釈迦様や、仏教を伝えてきた諸々の「いまは亡き仏さま」の想いや願い、教えを守り、供養し、生きて行くこと。(全てをそのまま完璧に守るのは難しいですが、なるべく守っていく姿勢だけは崩したくないものです。)
それゆえに自分たちの人生を「仏道と」いう言葉で表現します。

みどりさんが亡き仏さま(お母様)の果たせなかった願いや想いを生きることも、一つの供養です。それこそ、みどりさんが仏教徒であるならば、ご自身の仏道(人生)を歩んでいると言えましょう。そういう仏さま(お母様)との関わり、付き合い方が出来たら素敵ですね。

みどりさんのこれからの人生、お姿は実際に見えないけれども、心の中にはいつも、お母様がいらっしゃいます。

当面のエクスキューズとして、親戚に必要以上の相談は控えましょう。
お父様に相談、或いは、hasunohaを心ゆくまでご利用ください。

お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

2つ目の回答として、お役に立つかはわかりませんが回答させていただきました。合掌

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有り難し
おきもち

こんにちは。 埼玉県秩父市のお寺で住職をさせて頂いております、野村圭秀と...
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質問者からのお礼

アドバイス頂きありがとうございました。
私の行いが間違っていたのかと思いましたが、十分すぎる供養をしていると言われて少し心が軽くなりました。
「供養が足りない」と言われる度にこのまま嫌々母と向き合うときっとどす黒い気持ちをぶつけてしまいそうで怖いと思っていました。そんな感情を母に向けたくありませんし、決して喜ぶとは思えなかったので。
今はまだ色々なことが山積みですが、日々のことを、楽しかったこと辛かったことなどを仏壇で報告して私の気持ちを伝えていきたいと思います。これからも毎日お経をあげていこうと思います。
そしていつか私が本当に心の底から幸せだと感じられるようになるまで頑張りたいと思います!先日夢で母が出てきて無理しないでね、とアドバイスをもらったので適度に力を抜いていきたいと思います。
親戚も私のため、そして自分の今までの経験からのアドバイスだと思うので適度に聞き流して接していこうと思います。
お話を聞いて頂きありがとうございました。また何かあれば宜しくお願い致します。

「供養の仕方」問答一覧

どのようにご供養したらよいのでしょうか…

精神科の看護師をしています。 ずっと心に引っかかっていること、そう思いたくないですがそれが原因…?かとも思えてしまっているできごとも現在起きていて、でも身近でこのようなことを相談できる専門の方がいないので、悩んでいます。こちらのサイトをみつけ、相談してみようと決意しました。 担当していた患者さんが、治療を始めた矢先に亡くなってしまいました。(原因は医学的に説明できるもの) その患者さんが治療を選択したり、治療を受けられる手配を整えるのを、担当である私は看護師としてできることはしようとその時は全力であったのは、誓ってうそではありません。 ただ、亡くなったあとで、専門的な部分にもなってしまうのですが、私の行った言葉がけや行動でその治療に患者さんが望んだならば、結果的にこの患者さんの寿命を私が短くしてしまったのだと思えます。もっとしっかり日頃から勉強する姿勢を持ち、知識を持ち、情報を集められていたならば、別の選択肢を選ばせてあげられたのではないか、それをできてこその看護師だと思います。精神科であるならばなおさら、なのです。 だから、その患者さんは、そのようなことを思う方だとは思っていない反面、私のことを責めていてもおかしくないと思います。 そしてさらに私は、この仕事をしているにも関わらずご遺体を目の前にするのにはいつも怖さみたいなものがあり、上記の経緯もあり、この患者さんへ最後にあいさつができたであろう霊安室にも、足を運ばなかったのです。最後にごめんなさいと、ちゃんと伝えず、お見送りも避けたのです。 後悔しています。 この患者さんへ、今できるご供養があるならば、どのようにさせてもらえればよいのでしょうか。お墓参りやご自宅に行くことは、難しいです。 教えていただければありがたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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先祖供養について

お世話になっております。 種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。 「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。 素晴らしいと思います。 祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。 それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。 私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。 ですがその際、少し疑問が生じるのです。 ①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。 ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。 ②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか? (もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。) 法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。 これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。 決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。

有り難し有り難し 6
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どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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ご供養の仕方について。

ご供養の仕方について質問です。 私はとある新興宗教に以前入っておりました。 今は経済的に厳しいことや、菩提寺のお坊さんの助言もあり、脱退しましたが、過去帳というものを作ったので日めくりにして、毎日般若心経を読んで、お線香をあげています。今年は月命日という習慣があるんだと知り、月命日にはお墓参りをしようと目標をたてたのですが、母が倒れたショックと、家を売却した環境の変化に耐えきれず入院してしまい、お彼岸にも行けなかったので、先月やっと退院してお墓参りできました。以前はお墓が歩いていける距離でしたが自転車で2時間以上かかるので休みにしか行けなくなってしまったので彼岸とお盆と新年には行こうと思いますが、命日や月命日は行けたら行くので良いんでしょうか。それとはまた別なんですが、うちの仏壇は造花が飾られていてまえから気になってはいたのですが、やっぱり生花のほうが良いのではないかと。言っても、生花はお金がかかるからダメだと親がいうので。 仏教を通して、座禅や写経や読経やお地蔵様のお掃除など作務を行ってきましたが、遠くなってしまっては。よく分からない文章になってしまいましたが、宗教嫌いな人は沢山いるけど、私は仏教が大好きです。仏様が墓参りしろと言ったんじゃないことは知ってますが、お墓参りというのはしたほうが良いと私は思ってますが、宗教はいけないことなんでしょうか。

有り難し有り難し 4
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位牌も遺影もない祖父母の供養

お忙しいところ、失礼いたします。 祖父母の供養方法について心にモヤがあり、相談をさせてください。 当方、結婚を機に実家とは離れた県で暮らしております。 実家で一人暮らしをしている父は片付けができず、家は現在、ゴミ屋敷のようになっています。 恥ずかしながら、祖父母の位牌があるお仏壇も埃を被っており、帰省の際には私が掃除をいたしますが、日頃からお茶やお水、ごはんやお線香などがあげられているわけではありません。 また、私が今パートナーと暮らしているのは賃貸で、お部屋には神棚もお仏壇もございません。 祖父母、特に祖母はお茶がとても好きなひとでしたため、せめてお茶だけでも、と思い、 毎朝窓辺に淹れたてのお茶をお供えし、手を合わせております。 ただ、心の中には 「祖父母が案じるとすればおそらく父のことであるし、 実家の方のお仏壇を綺麗にして、そこに毎日お供えをしなくては意味がないのではないか」 という思いがございます。 頻繁に実家に帰ることも難しいのですが、やはり縁もゆかりもないような場所で、 位牌も遺影も置いていない窓辺に何かをお供えし手を合わせる、という行為だけでは、 故人には届かないものでしょうか? 遠方に暮らしている時の、日々の供養の方法について、何かよりよい方法がございましたら、お教えいただきたく存じます。 なにとぞよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ