死の世界は美しいと思うのはダメな事ですか
私は中学から鬱病です。
絵を描く事芸術が好きです。
死について深追いして見える世界は美しいと思います。それが見える私は、特別だと思ってます。
芸術はそういう世界だと思います。
宗教の世界も似たような美しさを感じます。
病気が治ったらその世界も見えなくなって失ってしまうと思うと怖い。
でも、その世界を見続けていると、
社会に出て生活は出来ないよと主治医に言われてしまいました。自殺してしまうよと、
絵を描く私を捨てて生活する勇気がでません。
それが正しいのかもわかりません。
私は、その感性を捨てて生きていけるのか、
また、その感性を持ったまま生きていけるのか、
本当にわかりません。
社会に出ては、感受性が豊かな私は、色んな事を感じ取り、色んな障害があり、引きこもりに戻る事を繰り返しています。
暗闇に入る事が快感な私を引っ張り上げてくれる親はいつまでも生きてません。
生きる事を教えてくれる親を裏切っていると思うと苦しいです。
私は、死に向かって歩いてると知っても自分の好きな事を通していいのだろうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
美しいことを広げてみましょう。
ひなこ 様 相談ありがとうございます。
好きな絵を続けることは、良いと思います。
その道を極めることは、生きがいにつながりますから。
でもあなたは、素晴らしい感受性ゆえに、精神的に辛いと思うことが多いようですね。悪いことではないです。
貴女のその素晴らしい感受性を、死の世界は美しいと感じるだけでなく、広げてみては如何でしょうか。
思いやりの世界はどうでしょう?
人と繋がる共感の世界はどうでしょう?
喜びを分かち合う世界はどうでしょう?
心を広げて総てを分け隔てなく見ることのできる世界はどうでしょう?
そして、それらすべてを包み込んだ愛の世界はどうでしょう?
是非とも感受性と絵の表現を広げてください。
そこに本当の喜びがあるように私は思います。
まずは、自分の身体に思いやりを向けて、体調を整えて、感じてみてくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
一礼
「欲」は煩悩
楽しみたい、美しいものを見たいなどは、「欲」の煩悩です。
煩悩は、悩み苦しみやストレス、失敗の原因になりますので、注意が必要なのです。
スマホを見ながら車を運転して事故につながるのとかも、スマホを見たいという「欲」で失敗する事例です。
「スマホが大好きだから、運転中もスマホを見続けてはいけないのでしょうか?交通事故の死の道だとわかっていても、スマホを見たいのです!」
と言われても、やめた方が良いですよね。
また、プライドの煩悩も悩み苦しみにつながります。
「私はこういう人間なんです!」と言って変化を拒み続けていては、失敗やストレスにつながる場合があります。
これも、注意が必要ですね。
病気の診断もあるなら、医師のアドバイスも重要ですね。
自分のプライド(こだわり)と戦うことは、悩み苦しみを減らすための修行になります。
追記
とても真面目で頭が良い方だと感じました。
趣味は趣味として楽しむときは楽しんで、息抜きや、エネルギー補充をしてくださいね。
質問者からのお礼
御回答有難うございます
私の世界の共有という事ですね
私が見ている美しい世界を見て共感できる人が一人でも居たなら
素晴らしい世界です
私が見てる暗闇の理解は私がその絵の中の景色に一人で立つより、勇気が出ますし、理解してくださった方も同じ暗闇が見えるならあなたも一人じゃないよと伝えれたら幸いです
そういう捉え方をくださりありがとうございました。
また一つ何かを得ることができました。
ありがとうございました。
私がしているのは運転 〔人生〕であってスマホ 〔絵を描く〕ではない事を気づかされました。
私はスマホに気を取られて危うく事故するところでした。
運転と、スマホの時間をしっかりわけて考え、本当に大事な事は何かを見失わない様になれたらいいなと思います。
私はスマホが無ければ生きていけない人生はやめます。
私自身を見ます。
変化が怖かったのも本当に事実です。
絵がない私を見つめる事が出来なかったからです。
私は、プライドとしっかり戦って、自身を見つめ、苦悩を減らすという方法を与えて頂けて本当に幸せです
ありがとうございました。