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病による希死念慮と自死は罪になりますか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 27

こんばんは。お忙しい中お目通しありがとうございます。
以下の質問内容は大変失礼な事かもしれません。不快な思いをさせてしまうかもしれません。先にお詫びをさせて下さい。申し訳ございません。

現在、重度の鬱病を患い通院および治療中の者です。今 真剣に自死を考えています。
「私一人いなくても、何も問題ないのではないか」「私がいない方が、家族や周囲にとって幸せなのではないか」

そこで質問です。このような希死念慮を抱くことは罪でしょうか?また…自殺を決行したら大罪にあたるでしょうか?

この考えの引き金は昨日我が家で起こった事です。
昨日は家族揃って年内最後のお墓参りに行く日。墓所は高速道路を使わなければ行けない場所にある為、早起きが必須です。

しかし前夜は鬱病由来の不眠症で3時過ぎまで眠れず(医師から睡眠導入剤を処方されていますが効果無し)

今朝は鬱病の日内変動という症状が悪化(日内変動とは「主に午前中に鬱症状が強く、時間の経過と共に改善する」という症状。回復するのは大抵夕方です)

更に先日、鬱病に加えて「鉄欠乏性貧血」も発症している事が判明。体の中に貯蔵鉄がない、よって常に酸欠・脳貧血のような状態です。

鬱病由来の不眠症と日内変動、更に貧血が加わり、早起きが出来ませんでした。
無理矢理起き上がろうとすると、脱力感・目眩・激しい動悸・頭痛・鬱々感・焦り等が暴走し、パニック状態になりました。

結局、私はお墓参りに行けず留守番…。
家族からは「そんな状態で行っても先祖も喜ばない」と言われました。

一人家で寝たきりとなってから悔し涙が止まらず「何も出来なかった。迷惑しか掛けていない。役立たず」と自身の不甲斐なさを嘆き続けました…そして冒頭の希死念慮に至ります。

実は以前も今回のように『大事な用事を自らの体調不良で潰す』という事があった為「まただ」という悔しさが一層強まっています。
改善しようと必死に努力中ですが病は悪化する一方で、毎回負けています…。

鬱病も貧血も完治の見通しが立たない現状。こんな状態の私が生きている事により家族や周囲に迷惑ばかりかけている…本当に申し訳なくてたまらない。
なので、いっそ早々に消えてしまう方が良いのではないか…そう強く思うのです。

このような状態ですが、病の悪化に伴い 自ら死を望む事、或いは自死を決行する事は罪となるでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
昔ある人が法然上人という坊さんに質問しました。
ある人「念仏を唱えなさいと言われるが、唱えていると眠たくなります。どうしたらいいですか?」
法然上人「眠たい時はぐっすり寝て、目が覚めたら念仏を唱えたらいいですよ」
この話はあなたにも当てはまると思います。
あなたはお墓参りに行くことが今回はできませんでした。
でも今は体調が悪いのですから無理をしてはいけません。
何日かかるか何年かかるか分かりませんが、しっかり体調が良くなってからお墓参りに行けばいいのですからね。
ご先祖様は待ってくれますよ。
ですから、ご自身を責めないでくださいね。
あなたは何も悪くない。
あなたは生きていいのです。
試行錯誤しながら上手く自分の心をコントロールしてくださいね。
「死にたい」という思いは一時的な思いなので、それに惑わされないように。
何度「死にたい」と思っても、そのたびに「これは一時的な思いだ、鬱病の症状だ、だからこれに従ってはいけない」と自分に言ってくださいね。
もし機会があればブログかツイッターなどで、日々どのように鬱をコントロールしているか日記のように書いてみるのもいいかもしれないですよ。
それを見た同じ状況の人が「風の子さんも頑張ってるんだ。私も頑張ろう」と勇気をもらえるかもしれませんからね。
あなたは生きていいのです。
生きていいというか、この世界の主人公はあなたなのですから。
過去のことを思い出しそうな時は、目の前の現実と現物をしっかり見わたして、「今」に意識を集中して、一瞬でも過去を吹き飛ばしてくださいね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

三宅聖章様

こんばんは。この度はお忙しい中、私の質問に丁寧にお答え頂きまして、本当にありがとうございました。
また、お礼をお伝えするのが遅くなりまして申し訳ございません。大変失礼いたしました。

三宅聖章様のご回答を拝読して、沢山の涙が流れました。
それは、質問に書いたような「悔し涙」ではなく、「安堵」と「嬉しさ」から来る涙でした。

ご回答全文が、今の私にとってありがたいものでしたが、中でも以下のお言葉に心が震えました。

『あなたは何も悪くない。あなたは生きていいのです。』
『「死にたい」という思いは一時的な思いなので、それに惑わされないように。』

この言葉が、今の私のとって大きな「光」になりました。

鬱病による症状が悪化する日々に苦しみが募っていました。出来ない事が増えた。出来ていた筈の事が出来なくなった。何をやっても上手くいかない…。それに追い討ちをかけるように判明した鉄欠乏性貧血。
絶望感しか感じませんでした。

何も出来ない、動けない等…こういった事が日常の様々な場面で増える毎に『私の存在価値は何だろうか?』『私は何をしてるんだろう…』と思う事が多くなりました。

その結果、次第に自分の存在・命そのものが無価値に思えて、迷惑なのではないかと不安でたまらなくなっていました。

不安とパニック、自己否定がピークに達した昨夜、泣きながらハスノハに質問を投稿させて頂いた次第です。

今回、三宅聖章様から頂いた回答は、とても温かくて優しいものでした。
それと同時に、私の意識を「死」から「生」へと変換させて下さるものでした。
それが、とても嬉しくて。涙が止まらないほどありがたく感じました。本当に、本当に、ありがとうございました…!

※実は…この回答を拝読する直前まで、昨夜質問をした時よりも「死」を強く意識していたのです。もし三宅聖章様の回答を拝読していなかったら、きっと今日 私は鬱病に完全敗北していたと思います…。
なので、三宅聖章様のご回答が私の『命綱』になりました。感謝してもしきれない位、何度お礼をお伝えしても足りない位、大変ありがたかったです。

法然上人様のお話も大変興味深かったです。
三宅聖章様が仰るように、この話は今の私にとって重要なヒントを含んでいると感じました。

ゆっくりでもいいから、マイペースでもいいから、少しずつでもいいから、とにかく生きて、自分に出来る事をやっていこう。
今はそう思っています。

昨夜泣きながら投稿した時は心が澱みきっていましたが、今はそれが嘘のように晴れ晴れとした心境になっています。
このように前向きな心に変われたのも、生きる活力を下さったのも、全て三宅聖章様のご回答があったからです。
本当に感謝しております。ありがとうございました。

今夜は2019年最後の満月だそうですね。三宅聖章様のお住まいの近くでは満月が顔を出したでしょうか?
12月ももうすぐ折り返し地点。寒さが厳しくなると月や星が美しく見えますが、体調を崩しやすい頃でもありますね。
どうか三宅聖章様も、お体ご自愛下さいませ。

長文乱文失礼いたしました。
この度は本当にありがとうございました。

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