私はダメな人間です。
私は人づきあいが苦手です。
職場の人と話すのは特に怖いです。
私の職場は少人数で、私と社長ともう一人の社員さんで運営してます。
今日は自分が嫌になる出来事がありました。
お昼時間の時にお弁当は持ってきていたのですが、
気分転換に外に出ようと思い、外で食事をすることにしました。
行くときに行ってきますと社員さんと社長に挨拶をしてから外へ出ました。
食事が終わり、時間通りに戻ってきたのですが、社員さんが怒った様子で椅子をガタガタさせてドアも勢いよくしめて出ていきました。
最初なぜかわからなかったのですが、戻ってくるときあいさつしなかったな・・・って思い出しました。
前にその人は私に挨拶してこなかったし、自分と話すのが嫌なのかなと思って今回挨拶しなかったんです。
なんか私のこと気まずそうに感じてそうだし、話しかけるのは迷惑なのかなって。
普段いい人なんですけど、私のこと嫌いなんだと思います。
私がダメな人間だから。
入社したばっかりで、仕事も任せてもらえず、毎回自分一人でエクセルの勉強やワードの練習、お金の計算。それだけしかやってません。社長に仕事を下さいと言ってもまだまだ焦んなくっても大丈夫。少人数での運営だから教える時間がないんだよ。だからもう少し待っててといわれてもう一か月半がたちました。とても後ろめたさをかんじます。お給料もらってる割に全然仕事してないし、だから社員さんは私のこと嫌いなんだろうなって思います。
もっと頑張らなきゃいけないのに、人付き合いすらできなくて
私はこの会社に必要なのかよくわかんなくなってしまいました。
私ってこの世界にいても役に立たないくずだと思います。
自分を消してしまいたいようなそんな気持ちになります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはダメじゃない
ご相談拝読しました。
世の中に「ダメな人」なんて一人もいません。あなたも「ダメな人」ではありません。
いるとするならば事実としてはダメではないのに「(自分で)ダメだと思っている人」、あるいは「(さまざまな状況で)ダメだと思わされている人」です。
あなたは会社に必要だと判断されたから入社できたのです。だから役に立ちたいという気持ちがあるのですよね。それなのに仕事を任せてもらえない葛藤があるのですね。
ならばあなたの今の仕事は
・待つこと
・自己研鑽
・仕事を教えてもらいやすくなる関係を育むコミュニケーション
・教えてもらう時間を作ってもらうための他者の仕事のサポート(どんな雑用でも)
などかもしれません。
「もっと頑張らなきゃいけない」と焦りのような自己否定をしてしまっていますが、あなたは頑張っているからこうして悩んでいるのです。目の前の状況に向き合おうとするからこそ生まれる悩みです。
頑張ろうとしても中々上手くいかないこともあるでしょう。そんな自分を「ダメな自分」としてしまうのですね。
そういうダメとかダメじゃないとかは「事実」ではなく自分の「(勝手な)価値づけ」です。仏教では「分別(ふんべつ)」といいます。
良い・悪い、高い・低い、優・劣、そうして自分の「思い」で価値づけたり評価することで自分を追い込んでしまいます。
それらは自分の思いだけでなく、社会構造としてもそうした基準で人を評価する部分は大きいかもしれません。
しかしそれは「事実」ではないのです。人は役に立つために生まれて来たわけではありません。あなたはあなたであることを全うし、そのあなたに満足したいという願いで生きているはずです。
そのあなたがあなた自身の「思い」であなたを追い込むことは悲しいことです。
もちろん仕事が上手くいかないことに悲しくなることは当然ですが、だからといってあなたはダメな人ではないのです。
あなたが苦しい時は「また自分で分別しているな」と仏様の「無分別(むふんべつ)」の智慧を意識してみましょう。
仕事面ではあなたに今できることを探りつつ、待つときは待つ。長々と話しかけるのは迷惑でも挨拶や「なにか私にできることがあれば何でも言ってください」などの声掛けは大事なことでしょう。
焦らずじっくり。応援しております。