毎日の勤行で使う真言宗の経本を探しています
色々な出版社から出ており、どれが良いかわかりません
真言宗の毎日の勤行で必要なお経が載っているもの(般若心経、理趣経含む)
フリガナがついているもの
フリガナが古典読み?ではなく、現代読み?のもの
オススメの経本はありますでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これまたAmazonですが私も使っているもので、在家さん用とは思えないほど充実した内容となっております。
https://www.amazon.co.jp/仏壇工房漆の館-経本-真言諸経要集-平かな付/dp/B07TP9HKK2/ref=pd_sbs_14_3/356-9056091-0835258?_encoding=UTF8&pd_rd_i=B07TP9HKK2&pd_rd_r=936bcb8d-1eb3-4c3f-bc1e-ec15b9c1d926&pd_rd_w=XTQ1O&pd_rd_wg=tJsRd&pf_rd_p=1585d594-d9d0-474b-8a4e-69eca1566911&pf_rd_r=CWQDXBWVBZKXSZJ7VCKJ&psc=1&refRID=CWQDXBWVBZKXSZJ7VCKJ
理趣経ということは僧侶向けのものが欲しいのでしょうか? 私はもっていませんが、こちらがよさそうですね。
https://www.amazon.co.jp/真言宗檀信徒勤行経典-理趣経入り-高野山金剛峯寺教学部/dp/4889552049/ref=sr_1_9?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=TH9N1T6Q8REW&keywords=真言宗+お経&qid=1576718068&sprefix=真言宗%E3%80%80%2Caps%2C329&sr=8-9
総本山がだしてるようですので、信頼性は大丈夫でしょう。
ただし観音経は入っていないようですよ
初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?
真言宗の三摩耶戒についての質問です 私の手元にあります勤行次第(檀信徒常用経典)には三摩耶戒という項目があります。 密教ならではの戒律のようですが、私は結縁灌頂を受けていませんがお唱えしても大丈夫でしょうか。 (毎日、勤行次第の順番通りにお唱えしています) ネットで調べたところ「心と仏と衆生は平等一如」みたいな教えのようですが、このへんも詳しく教えて頂けたらと思います。 それと素朴な疑問なのですが、どうして普賢菩薩さまと同じご真言なんでしょうか? いつも質問ばかりですいません。 よろしくお願いいたします。
日蓮宗の信徒です。 幼少期より、朝夕の父の仏壇のお勤めを見て、方便品第二や寿量品第十六など自然と覚えておりました。 一昨年父が他界し、今は私が仏壇へのお勤めをしております。 その後、二十一、二十六、二十五、十二と徐々に読めるようになり、更に今まで知らなかった内容(意味)についてもYoutubeなどを見始めております。 二十八品全ての道のりは長いですが、敢えて順番を付けるとすると、次やその次とどのように勉強していけば良いのか、ご意見を頂けますと幸いです。 また、具体的に、次の時にはどの品を読まれているのかもご教授頂けますと幸いです。 今後、菩提寺様や久遠寺など、行事に参加する機会を増やしていきたく、その際にお上人様とご一緒に唱えられるものを増やしていければと思っています。 ・*周忌法要 ・御施餓鬼 ・立教開宗会 ・祥月命日 ・お葬式 ・その他、重要な行事 よろしくお願い申し上げます。
私は今、真言宗醍醐派で修験得度をしたいと考えています。装束などの必要なものを揃えるにはどのくらいかかるでしょうか。どなたかお教え下さい。
いつも質問の回答いただきありがとうございます 今回は、法要の件で助言いただきたいです 1月命日の弟の一周忌、同じく1月命日の父の十三回忌の法要は、一緒に執り行ってよいでしょうか? 当方も調べて、年数の浅い仏様の法要は合同(併修)でないほうがよいとのこと 菩提寺の住職様へは相談に行きますが、命日が近い2つの法要について、事前にお教えやマナーをお聞かせください 宗派は真言宗となります
不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです
僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。
私は数年前に自分の意思で浄土宗を選びましたが、現世利益も欲しい俗物なのでこの初詣には真言・天台のお寺に観音菩薩を拝みに行ったりもしました。参拝に行くとこの両宗のお寺はきらびやかで拝み応えがありますね(笑) 天台宗の念仏部門が独立してできたのが浄土宗だとするなら、こんな僕は天台宗の方が合っているのではないかとか、真言宗でも僕の周りには新義真言宗のお寺が多いのでそれなら阿弥陀信仰と現世利益を両立できるのではないか……などと心が少し揺れています。 ただ、浄土宗には在家者の往生の方法として称名念仏がハッキリと確立されていますが、真言宗や天台宗では僧侶ではない在家者は何をすれば成仏・往生できるのでしょうか? そんな方法論が無いから法然上人は凡夫のために浄土宗を開いたのさと言われればその通りかもしれませんが……。 枝葉たる現世利益を求める余りに本幹たる往生・成仏の道筋を失う改宗なら本末転倒だよなと思っています。
真言宗の家でお遍路にも行きだして気がついたのですが、本気で邪念なしに叶えたい願いがあり、本格的なお祈りがしたいことに気がついたことです。心願成就でしょうか。 でもなにからやったらいいのかわかりません。 今私が心願成就のためにやめたいと思ってることは、タバコを吸うことと、時々怒りっぽくなることと、占い師に頼ること、お金を使いすぎることがあるということです。 それをやめたら願いか叶うかというとそうでもないかもしれませんが、これを少しずつでもいいからやめたいことと、一般人が本当に仏様にお祈りするということはどういうことなのか教えていただきたいです。
いつも大変お世話になっておりお坊様には心から感謝申し上げます。 よく剣道の手ぬぐいに「不動心」と書いてある物があります。 具体的にどういう心を表すのか分からなくてネットを検索していたら「真言宗」と関係があるという記事を見つけました。 差し支えなければ噛み砕いて教えて頂けますと有り難いです。
躁と鬱と私と共に生きる西條るじん僧侶
和歌山の駆け込み寺・中田三恵住職
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