年が明けたら自殺しようと思っています
24歳・女です。
タイトルの通りなのですが、これといって悩みがあるわけではありません。
周りの人にはすごく恵まれていますし自分のことを尊重してくれていると実感しています。俗に言う毒親というのとも無縁で、家族との会話もあり、関係も良好です。
過去にトラウマ等もありません。体もとても健康です。
ただ、小さい頃からとても無気力で日常のすべてが面倒くさく自殺を考えはじめてから10年以上になります。未遂は過去に2度ほどあります。(1度目はODで発見されてしまい、2度目は車内練炭で警察に保護されてしまいました)
何にも興味が持てず、趣味も行きたいところもやりたいこともありません。将来の夢を持ったことも一度もありませんでした。なので学歴は中卒、仕事も自分で希望して選んだものは特になく知人から「働いてほしい」と言って頂いた職になんとなく就き、それ以外は適当に風俗で働いてきました。
私が死んだら家族が悲しむ、周りに迷惑をかけるからという一点だけで今日までどうにか生きてきました。
でもそれももうどうでもいいかなと思い始めてしまい、今の仕事を年内に退職することを決め、身辺整理をしたりエンディングノートを準備している最中です。
少々他人の輪に入ることが苦手で他人と比べて感情をコントロールすることが下手だなと感じる場面はありますが、友人もいますし、外に出ることが苦ではないので心の病等ではなく性格的なものだと思っています。
残された人のことを考えれば死なない方がいいに決まっていることはわかっています。
だけど、もうやり過ごすのは飽きたし何より生きていてもつまらないのです。
毎日つまらないなーと言うと、生きていれば楽しいことは起こる、新しいことに挑戦しろ、海外に行ってみたら?、無気力なのは疲れてる証拠だから休め、そんなものは甘えだ、ゆとり世代の特徴だ、などといろんな人にいろんなことを言われてきましたが何も響きませんでした。別に悪いことが起きたわけじゃないしパスポート作るのだるいし疲れてないし世代ってそれもうどうしようもなくない?という感じです。
前述の通り親が悲しむので出来ればやる気を出したいのですが、死にたいと考えてしまう要因が「めんどくさい」「どうでもいい」のみの場合、解決もなにもないような気がしてどうしたらいいのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご質問ありがとうございます。
そうですか。
なかなか楽しい事ややりたい事が見つからずになんとなく生きてることもありますね。
案外そういう人は多いのかもしれません。
ふつう「死にたい」って思うのは今何か苦しい事があって逃げたくてそう思うのですが、あなたの場合はそういうわけではないのかな。
あなたの人生ですからあなたの命をどう使おうと自由ですが、しかし、それはあなたの命の半分までです。
残り半分の命は人のために使うのが正しい命の使い方なのです。
その為には働く事です。
できれば風俗以外で。まあ、お酒を飲んで話をするくらいならいいのですが。
働くことはお客さんの為にもなるし、社会に貢献することになるし、あなたの家族を守ることにもなりますからね。
ただ中卒では仕事が限られるかもしれないので、定時制や夜間などでもいいので高校を卒業してはどうかな。
その方が仕事の範囲も増えると思いますよ。
あなたは知人から働いて欲しいと言われたら働いてあげられる、人の為になら働く事ができる人だと思いますよ。
ところで関係のない話ですが、私はお風呂に入る前は「面倒だな」っていつも思うんですよね。
でもお風呂に入って湯船に浸かると「お風呂は入ってよかった」って思うんです。
「面倒だな」って思うことは、頑張ってやってみたら後で「やってよかった」って思う事が多いと思いますよ。