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身のあり方について

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

疲れてしまいました。
今、職場で自分の気持ちを騙し騙しやっています。
でも、なんとなく疲れてしまって、いろんなことがどうでもよくなってしまったのです。
以前の私を知る人間は親切な人は「元気がない」、そうでない人は「不貞腐れやがって」と言います。
私の言動に好意と嫌悪を示す人がはっきり分かれていたのは事実です。
私は何でもずけずけ言う人間でした。
嫌われてもはっきり言う人間でした。
嫌われることが分かっていても言わずにおれない人間でした。

今は仕事での辛さから「何も言わないでおこう」「上げ足を取られると困る」ということで何も言いません。

最近、左遷されました。
ときどき、突然に復帰の話も湧いたりするのですが、正直、今は何かを考えたりするのが辛いです。
ありがたい話でも辛いです。
なんだか世の中というか会社というか、人に合わせるのがとても今は苦痛です。
会社のスピードについて行けません。
少し、ゆっくりしたいのです。
何も考えずにぼーっとしたいのです。

私は昔から精神安定剤を服用してきました。
仕事は問題なくやれています。
ただ、上司もそのことを知っていて、左遷された直後は「薬を飲まなくてもいいようになるまで病欠したらどうか」と言われました。
私としては「治るのならそうしますが、休んでも治る保証がないのに休めません」と言って仕事をしています。
私にも生活がかかっています。

ただ、最近は正直、身体のことを考えると不安です。
お休みも少なく、仕事量も増えてきました。
生きる速度を落としたく上司に「給与が減ってもかまいませんから有給を頂けないでしょうか?」と相談しました。
上司からは激怒されました。
「お前だけに特別扱いはできない」とのことでした。
病欠しろといった上司が有給は無理とのことなのです。
なんだか0か100しか無理みたいです。
私としては70~80くらいの少し心に余裕の持てる仕事量を望んでいるのですが、認めてもらえません。

ちなみに休みの量は決まっているのですが、突然、病気になる人や怪我をする人がいて私の休みが潰れることがしょっちゅうです。
私としても会社の事情は分かるのですが、自分の身体を守る予防線を張らなければいつか潰れてしまうと意地になっています。

どうしたらよいでしょうか?
何か良い知恵はないでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の奥底に

しらいこうじさま
2回目のご質問ですね。とは言っても私は初めてお答えをさせていただきます。
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

前回のご質問が3ヶ月半ほど前で、その時から変わらず気力が湧いてこないようですね。変わらず、というか状況は悪くなっているようにお見受けします。

今回のご質問の第一声が「疲れてしまいました」とありました。余裕のない中で仕事をされ、心身ともに疲れ切ってしまっているのではないですか。体は休められても、心が休まらないのではないでしょうか。とても心配です。

有給をとることもできないし、でも生活があるから仕事を辞めるわけにはいきませんね。なんとか仕事も踏ん張りつつ、心の回復をしていくしかありません。

以前から精神安定剤を使っていらっしゃるということは、お医者さんにはかかっていらっしゃるのだと思います。あとはゆっくり話を聞いてくれる相手、それが家族であってもカウンセラーであっても友人であっても僧侶であっても、しらいさんにはそんな相手が必要なのだと思います。身の回りに、そういった方はいないでしょうか? お探しになってみて下さい。

あと、先ほど「なんとか仕事も踏ん張りつつ」と書いたことと矛盾しますが、どうしても耐えられなくなった時には、逃げ出すことも必要だと思うのです。
「仕事に迷惑もかかるし、俺の生活はどうしてくれるんだ、無責任なことを言うな」と思われるかもしれません。でもしらいさんが潰れてしまっても、誰も面倒を見てはくれません。

心の奥底に「本当にダメだったら撤退していい、と言ったヤツがいた」ということを収めておいて頂けないでしょうか。

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

利益(りやく)の為に勤め 利益(りえき)の為に勤めるべからず

あなたは利益(りえき)の為に生きているからいけないのです。
利益を求める姿勢とは、金銭、物質、名声収集です。
その証拠にあなたはだから凹んでる。
利益と書いて「りやく」を求めて下さい。
「りやく」とは精神的な向上、精神的に得られることです。
多くの人間は会社、職場で利益(りえき)ばかり追いかけてしまうから、得られない時、外された時、左遷された、などでガッカリ感を生ずるのです。
「りやく」を求める気持ちがあれば今の職場でも、何か得ようとする気持ちが湧いてきます。
友人に世界の◎◎会社の会長の息子と友達の人がいます。
その会社の会長になった経緯は、あなたのような仕事に就いた、人が嫌がる仕事を進んでやられたそうです。
半沢直樹的では格好は良いようでも現実社会では通用しない部分はおおいにあります。
さらに申し上げれば仕事に良し悪しを持っているうちはどのみちペケだと思いますよ。
違う視点を得るためにも、続けるべきです。
第一線でエリート面しているだけの人間ではそういう辛酸を舐めることはできません。
うちの業界では表舞台にだけ立っている人間は視野が狭いです。
人が嫌がるそういう部署にいった人間ほど人間的に度量も広く、機転がききます。アナタが職場に優劣上下をつけているだけです。
りやく を求め、差別心を無くすつもりでその職場で奮闘してみましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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