植物状態になった人の魂はどこに?
とても元気だった68歳の父が転倒し、強く頭を打ち、命は助かったものの、何も理解できず、意志疎通も出来なくなりました。
胃ろうとなり、麻痺もありベッドから起きあがることもできません。
意志もなく、感情も見えず、ただただ病院のベッドの上にいるだけ。
父は子供の頃から、毎朝必ず仏様の水を替え、手を合わせ、お坊さんになりたかったというくらい、とても信心深い人でした。
なぜ、そんな父にこんなことが起こるのでしょうか。父の魂はいま、どこにあるのでしょうか。
早く楽にならせてあげたい、仏様のとこに行かせてあげたいって思う私は酷いでしょうか。
死ぬに死ねない父がかわいそうで、そんな父のそばにずっといる母も不憫でなりません。
いつまで、生きねばならないのか。
家族としては、父が生きていることが嬉しい反面、でも父は死にたがってるかもしれないと思うと、辛くてたまりせん。
どのように心の折り合いをつけて、生きていけばよいでしょうか。
お教えください。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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声は聞こえているとおもいます。
初めまして、おはようございます。
はなとも様の想い、とても理解できます。
私も、30代のはじめに、妻が脳腫瘍で余命が数か月・・と主治医の先生に告知を受け、真っ白になりました。妻の変化を身近に居たのに何故・・と自分を責めたり後悔などの日々でした。手術が出来ない部分の腫瘍の為、延命治療は行わず痛みや苦しまない方を意識がある時の最後の外泊の際に、パパを苦しめたくないから・・延命はして欲しくないと強く意思表示があり、二人で話し合い選択をしました。
その外泊後の早い時期に意思表示も出来ない状態になりました。それでも、毎日妻に子どもたちを一緒に会いに行き、身体を拭いて着替えを行い手を握ったり頭を撫でで今日の事を子どもたちの事を話しました。きっと聞こえているはずだと信じてたくさん話しかけました。
いつも通り会いに行き、帰り際にその時が近づいている事を主治医の先生が伝え亡くなる最後の瞬間まで、聴覚は残っている。ありがとうと声をかけて上げてくださいと目を潤ませ、主治医の先生が話していました。私たちを待っていた妻。もう大丈夫だよ!ありがとう・・・そう伝えた数十分後に、空に舞い星になりました。
命あるものは必ず避けられない出来事と、私たちは理解していても解せない、理解したくない・・と思ってしまう事はあります。
それぞれの人生と言う冒険旅行の主人公として人生を歩み、新たな冒険旅行の地に向かう今、出来る事はありがとうの気持ちで話しかけ過ごす事ではないのでしょうか?
はなともさんの声はお父様に必ず届いていますよ!
寄り添い、新たな地に向かうその時を暖かく送り出して上げてください。
お父様が仕合せな時を過ごせますように心からお祈りいたしております。
あなたらしく素敵な人生を仕合せに歩めますように。
合掌
全部理解されてます。
私たちは、魂と意識と肉体で存在しています。
ゆえに、今、お父様は肉体のみが通常通りに活動していないだけで、魂、意識はそのままです。ですから、皆さんのことも全部分かっていています。
肉体から完全に魂(意識も)が抜ける状態が死ということです。亡くなることについては、様々な要因がありますので、個々に違うと思いますが、その時は寿命が尽きたということです。
今は、お父様に対し、ありがとうと感謝の気持ちをお伝えすればいいと思います。
付則として、信仰をされていたのに、こんな風になったとは考えないでください。また、お父様がこのような状況になっていることにも意味があると思いますが、いずれそのことも分かるかもしれませんが、これからのことは、お父様ご自身で決められます。
魂は不滅です。
元気だった御父様
御自身もそうですが、
周りの皆様にとりましても、
さぞや大変でショックな
思いをされていると、
思います。
何故、信心深く、
毎日お勤めを欠かさなかった、
お父様がこの若さで、
こんな状態になるのか、
長生きして最後まで、
健常でいて欲しかった。
御父様はわかっているのかどうか、
植物状態になると、
どうなるのか?
愚拙は宗教者の端くれですか、
魂は不滅であり、
生まれ変わり死に変わり、
再生しながら少しづつ昇華して
行くのだと信じています。
御父様は今回は、
元気なうちに突然の事故により、
植物状態になるという、
選択肢を選ばれたんじゃないかと、
思うのです。
身体の自由が全く効かない
状態とはどういう状態なのか、
またご家族の皆さまに
とりましても、
敬愛するお父様が
そういう状態になって、
この状態を捉えていくのか、
ご本人、
ご家族の皆様にとりましても、
本当に厳しい状況だと思います。
これを単に何でこんなに、
信心深く父親がならなければ
ならないのか、
神も仏もあるものかと、
思うのか、
信仰心のある立派な父親
だからこそ、
最後にとてつもない課題を、
もって来たんだと考えるのか、
だと思うのです。
厳しい状況を乗り越えて、
そこに何を観て、
何を感じるのか、
お父様にとっても、
ご家族さまにとっても、
経験、学習、学びだと、
思うのです。
お世話をされるのは
大変だと思います。
御父様にとっても、
生き抜く、
皆さまにとっても、
励まし続ける、
機会ではないでしょうか。
今世の御体験は、
皆さまにとりましては、
大きな学びだと思います。
どうか素晴らしいお父様を
励まし続けてくださいませ。
御父様聞いていらっしゃいますよ。
皆様のご多幸をお祈りして
おります。
質問者からのお礼
花山景吉様
鈴木海祥様
永寛様
ありがとうこざいました。
父はきっと感じている。
聞こえている。
そうですよね?
この状態を生き抜くことが、お坊さんになりたかった父の最後の修行なのだと。
そんな父に感謝の気持ちをもち、励まし続け、父の魂を感じようと思います。
父のために祈ってくださり、ありがとうございました。