世の中、馬鹿ばかりで嫌になります
どこを見ても、昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間ばかりです。
普通に考えれば、アルコールなんて薬物と同様に禁止してしまえば良いし、軍事力なんて保有すべきではないし、天皇制も廃止すれば良いし、働き方や教育、少子高齢化や社会保障はこんな小手先の対応ではなく、根本から見直す必要があることは明らかなのに。
僧侶の皆さんももどかしく思いませんか? 人々が仏教の教えに耳を傾けてくれれば、世の中もっと良くなるはずなのに、と。
私は、無駄だと分かっていても世の中を変えるため行動を起こすべきなのでしょうか? それとも、多数決に従ってこのくだらない世の中を黙って受け入れれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他を悪く言う人に煽られず今の恵みに感謝し、改善すべきは改善。
うーん、失礼ながらそれもあなたの言う「昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間」の思考でしょう。
アルコールも薬物と同様に禁止してしまえば良いと言われますが、禁止した国はこっそりアルカポネみたいなヤクザが牛耳って結果的に暴力団の莫大な資金源になって暴力がはびこった。
軍事力なんて保有すべきではないというのなら、今日からお家に鍵をかけずに生活してみなさい。私も知らずSNSニュースで共産系の人たちに非現実的な理想を正しいと植え付けられそうになりましたが、軍事力を持たないウイグルやチベットは結果的にどうなってしまったでしょうか。沖縄も尖閣諸島も竹島も北方領土もどうなってしまったのでしょう?
そういうスキだらけな理想だけが突出した主義思想こそ危険思想の一種と思われた方がよいでしょう。
「天皇制も廃止すれば良い」というのなら、天皇制を反対している市民団体は、なぜ日本ではない国の人たちなのか。間接的に祖国を支持している❝活動団体❞=❝市民団体❞なのでしょうか。世の中の表立ったアピール活動には必ずウラがあるのです。
天皇制があったからこそ、日本は教育レベル、人間性レベル、穏やかさが守られてきた素晴らしい面もあるのにそういう所をまるで評価せずに常に誰かを悪者にして自分たちの考えの浅はかさを顧みない主義思想団体には煽られない方が良いと思います。私自身もSNSで通じて知り合った過激な思想を持つ人たちと直接接触しましたが、彼ら外の事にピーピー反発するものの、今の自分自身が本当の意味で解決がついていない反日活動家ばかりでした。
収斂という言葉に参じてみると良いでしょう。
もっともっと、とか政権打倒とか、改革改革!とやっている人間たちって結局、無知な世間の人たちを煽って自分たちの政党や流入民系の団体に都合よくことを運ぼうとしている人たちが中心に居ることをよーく見抜いてみると「ああ、そういうことか。」と目が覚めます。
日本には実は日本人はあまり知りませんが、ある国が日本の文化破壊や日本人の不満を煽って今の秩序を破壊してそのエネルギーで日本国民を煽って最終的に自分たちの団体がハンドルを握ろうとしている一派があります。
その国を見て見ますと、常にデモやエゴ主張で永遠に満足が無いのです。
日本はそちらに比べれば本当に素晴らしい国です。
他を見るより感謝の心を持ちましょう。
お山の大将
”昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間”
う〜ん、まるであなたの事だね。
”人々が仏教の教えに耳を傾けてくれれば、世の中もっと良くなるはずなのに”
そうとも限らないさ。たとえば、仏教で世界を統一すれば世の中の諸問題は消滅するのかと言うと、そんなことはあり得ないだろう。
"私は、無駄だと分かっていても世の中を変えるため行動を"
たぶん迷惑な事になるだけだから、やめておくれよ。
はぁ…
お悩み受取りました
kainokoさま
お悩み受取りました。素直な気持ちをありがとうございます。
受け取った上で、感じたことをお伝えします。
仏教には中道という考えがあります。
極端な決断は、一見すると格好良く見えますが、思考すること手放すことでもあります。
一つの事象は、複雑なものです。極端な考えになりそうな時は、真ん中を歩んでみようと意識してみるといいかもしれません。
何かを変えようと思うことは悪いことではありません。変えた後、幸せなのか、変化を持続可能なものにするにはどうするのかを私は考えるようにしています。
もみじが色付くように、もみじアプローチでゆっくり変化することが僕は好きです。
急な変化は、不寛容を生む。
恩師の言葉です。
日々の積み重ねを大切にさせて頂いております
はじめまして、今日は。
ご質問拝見いたしました。物があふれ、何でもお金があれば手に入ったり、仕合せの為にお金を使うのではなく戦争や武器にお金を使う・・。何かが違う・・・それを正したい!その想い、とても私には伝わり理解が出来ます。
お釈迦さまの教えや、それぞれの宗教観念やその教えを学び実践をする僧侶として、よりそう思ってできることを実践いたしております。
お釈迦様も、この世は思うとおりにはいかないとおしゃっています。まわりに捕らわれたり、無理に染まらず・・あなたらしく歩んで見ませんか?
無理にあれこれ!思っていると、心が窮屈になってしまって折角の人生を楽しく歩めません・・。
思うようにいかなくて当たり前です。
私は、小さない積み重ねをコツコツ・・行っています。信号がない横断歩道で渡ろうとする人を見かけたら止まって譲らせて頂くこと、右折したいけれど譲ってもらえず待つ車を譲らせて頂くこと、ごみが落ちていたら拾いごみ箱に捨てる・・
日々の積み重ねが、例え小さな粒でもやがて大きな山となり花々が綺麗に咲くようにさせて頂いています。真面目なその姿を誰かが必ず見ています。
とても真面目で、思いやりのある優しいお心を持たれていることにとても嬉しいです。
その、優しい心を活かしてあなたらしく歩んで欲しいです。きっと、その真面目さを誰かが見ています。
あなたらしく希望ある人生を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
色んな方面からのご回答を頂き感謝しております。とりあえず話を聞いて頂けただけでもスッキリしました。短い人生に急いてしまう気持ちもありますが、またじっくりと考えて行きたいと思います。
補足しますと、私は決して自分の意見が正しいとは思っていません。よく考えもせず条件反射で無難な答えを出す人が嫌いなだけです。普段から人々の悩みに答えられている僧侶の皆様は決してそのようなことはないと思います。
具体的な政策案を例示したのは失敗だったかもしれません。質問の主題はそこではありません。