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世の中、馬鹿ばかりで嫌になります

回答数回答 5
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どこを見ても、昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間ばかりです。
普通に考えれば、アルコールなんて薬物と同様に禁止してしまえば良いし、軍事力なんて保有すべきではないし、天皇制も廃止すれば良いし、働き方や教育、少子高齢化や社会保障はこんな小手先の対応ではなく、根本から見直す必要があることは明らかなのに。

僧侶の皆さんももどかしく思いませんか? 人々が仏教の教えに耳を傾けてくれれば、世の中もっと良くなるはずなのに、と。

私は、無駄だと分かっていても世の中を変えるため行動を起こすべきなのでしょうか? それとも、多数決に従ってこのくだらない世の中を黙って受け入れれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他を悪く言う人に煽られず今の恵みに感謝し、改善すべきは改善。

うーん、失礼ながらそれもあなたの言う「昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間」の思考でしょう。
アルコールも薬物と同様に禁止してしまえば良いと言われますが、禁止した国はこっそりアルカポネみたいなヤクザが牛耳って結果的に暴力団の莫大な資金源になって暴力がはびこった。
軍事力なんて保有すべきではないというのなら、今日からお家に鍵をかけずに生活してみなさい。私も知らずSNSニュースで共産系の人たちに非現実的な理想を正しいと植え付けられそうになりましたが、軍事力を持たないウイグルやチベットは結果的にどうなってしまったでしょうか。沖縄も尖閣諸島も竹島も北方領土もどうなってしまったのでしょう?
そういうスキだらけな理想だけが突出した主義思想こそ危険思想の一種と思われた方がよいでしょう。
「天皇制も廃止すれば良い」というのなら、天皇制を反対している市民団体は、なぜ日本ではない国の人たちなのか。間接的に祖国を支持している❝活動団体❞=❝市民団体❞なのでしょうか。世の中の表立ったアピール活動には必ずウラがあるのです。
天皇制があったからこそ、日本は教育レベル、人間性レベル、穏やかさが守られてきた素晴らしい面もあるのにそういう所をまるで評価せずに常に誰かを悪者にして自分たちの考えの浅はかさを顧みない主義思想団体には煽られない方が良いと思います。私自身もSNSで通じて知り合った過激な思想を持つ人たちと直接接触しましたが、彼ら外の事にピーピー反発するものの、今の自分自身が本当の意味で解決がついていない反日活動家ばかりでした。
収斂という言葉に参じてみると良いでしょう。
もっともっと、とか政権打倒とか、改革改革!とやっている人間たちって結局、無知な世間の人たちを煽って自分たちの政党や流入民系の団体に都合よくことを運ぼうとしている人たちが中心に居ることをよーく見抜いてみると「ああ、そういうことか。」と目が覚めます。
日本には実は日本人はあまり知りませんが、ある国が日本の文化破壊や日本人の不満を煽って今の秩序を破壊してそのエネルギーで日本国民を煽って最終的に自分たちの団体がハンドルを握ろうとしている一派があります。
その国を見て見ますと、常にデモやエゴ主張で永遠に満足が無いのです。
日本はそちらに比べれば本当に素晴らしい国です。
他を見るより感謝の心を持ちましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お山の大将

”昔からの固定観念や一時の感情に任せて合理的な判断が出来ない人間”
う〜ん、まるであなたの事だね。

”人々が仏教の教えに耳を傾けてくれれば、世の中もっと良くなるはずなのに”
そうとも限らないさ。たとえば、仏教で世界を統一すれば世の中の諸問題は消滅するのかと言うと、そんなことはあり得ないだろう。

"私は、無駄だと分かっていても世の中を変えるため行動を"
たぶん迷惑な事になるだけだから、やめておくれよ。

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おきもち

個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

はぁ…

じゃ…恐らく自分もあなたの言う馬鹿に含まれるんでしょうね…

馬鹿でスミマセン…

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有り難し
おきもち

曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 思うところあって『非公開』にて参加させて頂いております。
指名も無いと思いますし、不得手な分野な為、他の回答僧諸師にお任せ致します。

お悩み受取りました

kainokoさま

お悩み受取りました。素直な気持ちをありがとうございます。

受け取った上で、感じたことをお伝えします。

仏教には中道という考えがあります。

極端な決断は、一見すると格好良く見えますが、思考すること手放すことでもあります。

一つの事象は、複雑なものです。極端な考えになりそうな時は、真ん中を歩んでみようと意識してみるといいかもしれません。

何かを変えようと思うことは悪いことではありません。変えた後、幸せなのか、変化を持続可能なものにするにはどうするのかを私は考えるようにしています。

もみじが色付くように、もみじアプローチでゆっくり変化することが僕は好きです。

急な変化は、不寛容を生む。

恩師の言葉です。

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有り難し
おきもち

日々の積み重ねを大切にさせて頂いております

はじめまして、今日は。

ご質問拝見いたしました。物があふれ、何でもお金があれば手に入ったり、仕合せの為にお金を使うのではなく戦争や武器にお金を使う・・。何かが違う・・・それを正したい!その想い、とても私には伝わり理解が出来ます。

お釈迦さまの教えや、それぞれの宗教観念やその教えを学び実践をする僧侶として、よりそう思ってできることを実践いたしております。

お釈迦様も、この世は思うとおりにはいかないとおしゃっています。まわりに捕らわれたり、無理に染まらず・・あなたらしく歩んで見ませんか?

無理にあれこれ!思っていると、心が窮屈になってしまって折角の人生を楽しく歩めません・・。

思うようにいかなくて当たり前です。

私は、小さない積み重ねをコツコツ・・行っています。信号がない横断歩道で渡ろうとする人を見かけたら止まって譲らせて頂くこと、右折したいけれど譲ってもらえず待つ車を譲らせて頂くこと、ごみが落ちていたら拾いごみ箱に捨てる・・

日々の積み重ねが、例え小さな粒でもやがて大きな山となり花々が綺麗に咲くようにさせて頂いています。真面目なその姿を誰かが必ず見ています。

とても真面目で、思いやりのある優しいお心を持たれていることにとても嬉しいです。

その、優しい心を活かしてあなたらしく歩んで欲しいです。きっと、その真面目さを誰かが見ています。

あなたらしく希望ある人生を仕合せに歩めますように。

合掌

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有り難し
おきもち

皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、悩みを相談し気軽に参拝出来る”心のよりどころ”であって欲しい・・・その願いを叶えさせて頂きました。仏縁を頂き真言宗の小さな手作りのお寺を開山させて頂き4ヶ月が過ぎました。妻を脳腫瘍で看取り、東日本大震災で彼女を失い、父を心筋梗塞で看取り、障がいのある長男と健常児の次男を育てる父子家庭の父、押し寄せるこれでもか!と来る障害。・・どうにかなるさ!と思考を変え、今日に至っております。一切衆生をお救いする事、それは経験させて頂いた出来事があるからこそ、その痛みがわかるからできるのことです。迷わず、負けずぶれず道一筋に、あなたの希望ある光輝く人生を楽しめますように。濃霧も時がたてば天晴の如く見通しが良くなるように人生の羅針盤となり皆様に寄り添い、慈悲の回向の光を届けさせて頂きます。 開かれたお寺と志を忘れないよう挑み続けます。合掌 礼拝

質問者からのお礼

色んな方面からのご回答を頂き感謝しております。とりあえず話を聞いて頂けただけでもスッキリしました。短い人生に急いてしまう気持ちもありますが、またじっくりと考えて行きたいと思います。

補足しますと、私は決して自分の意見が正しいとは思っていません。よく考えもせず条件反射で無難な答えを出す人が嫌いなだけです。普段から人々の悩みに答えられている僧侶の皆様は決してそのようなことはないと思います。
具体的な政策案を例示したのは失敗だったかもしれません。質問の主題はそこではありません。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ