心が自由になるには
自分のことをLGBTだと思い始めているのですが、周囲からいつも「お前は女だからこうしなければならない」と狭い箱に頭から押さえつけられ押し込まれようとしているような感覚があり、苦しいです。
実際田舎なので個性的なファッションをすれば目立ちますし、そういう考えの人も大勢いると思います。
でも面と向かって口に出して「女だからこうしなさい」と言われたことは、ほとんどありません。
それに個性的なファッションの人は地方でも増えてきていて、そんな人達は堂々と素敵に歩いています。
たぶん、自由になりたいと思いながらも私自身が自分の頭を押さえつけているのだと思うのです。
どうすれば心の自由を得られるのでしょうか…?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
男性も女性も男性女性を忘れている時があるものです。
これはあなた自身が快適な方を選択されればよいと思います。
私は一応男性ですが、過度に男だ、男だ、と思うことはありません。
観音様にも男女がありません。
禅宗仏教では十重禁戒(十戒)の内、第三不邪淫戒を「男女の見を起こすことそれ自体が不邪淫戒を犯すこと」とされています。
つまり人間の本性というものはそもそも男女、LGBTという名称に縛られて固定的になる必要すらないということです。
今、年末で「お母さんと一緒」という番組を子供と見ていましたが、どの曲が男の子向け、女の子向け、大人向け、子供向けというものはありません。知らずに子供が見ているのを聴いていました。「虫虫バババ、虫バババ♪」という子供が歌う曲を初めて聴いて「ああ、この曲があの…」と大変勉強になりました。さらにムテキチ、ミーニャ。メーコブという伝説のレアキャラに出会えて感激です。
(TΩT)🐭🐈🐄(←🐑)
さて、人間は童心、仏心、構えの無い心で居る時、別に24時間四六時中「自分は女だ男だ」ということなんて握っているわけでも掴んでいるわけでもないのではないでしょうか。男だったら勇ましいのかと言えばそういうわけでもなく、全国の既婚男性は常に女性の尻に敷かれること仏像の四天王が踏みつけている天邪鬼のごとし。
男らしさ、女らしさという言葉よりも大切なのは、自分が快適であること。自分の本能が一番安心する生き方に出会うことであって、世間の定めるLGBTという枠にすらハマらなくてもいい程に人間は自由だということなのです。
「あの人がこういっているんじゃないか?」
「人からこう見られているんじゃないだろうか?」
「女だったらこうするべきなんじゃないのか?」
という思いは実は、全部それ、自分の思いだったりするもんなのです。
まず、そこに気づいてみましょう。
人生における安心はまず自分自身の内なる思いに打ち勝つことです。
仏教はその道をガイドします。
誰もあなたを責めてもいません。
こうしなさいとも言っていません。
事実に対して「こうではないか」と悪くイメージをすることこそ人間の煩悩の基本です。
除夜の鐘で何ものにも染まる以前の清浄なるこころに仏心にかえってみましょう。
梵鐘が響くところ、あなたは男性も女性も忘れていることに気づいて、どちらでもない自由さに目が開かれることでしょう。
▼梵鐘とは法音。人間の見解以前の響き。
LGBTというかトランスジェンダーでしょうか?
LGBTは性的少数者の総称をいいます。レズ・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーです。レズは女性の同性愛者、ゲイは男性の同性愛者、バイセクシャルは両性愛者で、トランスジェンダーは性的越境者です。レズ・ゲイ・バイセクシャルが性的志向の問題で、トランスジェンダーは性自認の問題になります。トランスジェンダーは自分の心の性と肉体の性が違和感があったり、違っていたりすることを言います。あなたの場合、それのようですね。心の性が男性で肉体の性が女性というわけですよね。その場合の解消法として、ファッションを男性なら女装、女性なら男装してしまうというのはありますが、勇気のいることです。それでお悩みなんだと思います。女性の格好のほうが楽なのなら、それを着ればいいし、男性の格好のほうが楽なのなら、それを着ればよいと思います。今はユニセックスといって、中性的な服もあります。周りの目はあまり気にしないことですよ。周りも大してあなたに関心を持っていませんから。自意識過剰の場合が多いです。「女であることを強要される。」なんてのはあなたの思い込みです。逆にあなたの中に「女は女らしくしなければならない。」との固定観念があるのではないですか?まずはそれを打ち崩すことからです。一度男装してみるといい。楽になるはずです。私も昔トランスジェンダーの問題で悩み、女装したらすごく楽だったのを覚えています。
質問者からのお礼
お返事をありがとうございます。自分は男性になりたいわけではなく、かといって女性であることにも気持ち悪さを感じているので、自分が何なのか分かっていません。服装は男っぽい服を選んでいますが人からジロジロ見られているようで心が自由になりません…が、これもきっと思い込みなのでしょう。
「自分の内なる心に打ち勝つ」というお言葉がとてもズッシリきました。苦しさを感じた時、思い出して冷静に考えるようにしてみます。