罪悪感に襲われます
私の小さい頃の罪を聞いてください。その罪に押しつぶされそうになって自業自得ですが死にたくなります。
具体的な罪についてはお坊さんのみに公開している自己紹介の欄に記載しました。
小学校3、4年生の頃の私は大人にはしっかりしているまじめな大人しい性格と思われていましたが、実際は周りに流されやすい子でした。その頃の私は盗み癖がありました。最初は友人に流された形で始めましたが、スリルを味わいたいやその品物自体が欲しかった訳ではなく、友達と何か悪いことをすることを楽しんでいたように思います。その友人と万引きを繰り返していましたが、バレたことはありませんでした。5年生になりその友人とクラスが離れてからは全く盗みをすることはなくなりました。
人格形成前の自分は本当に自分がない人間だったのでそれを反省し、嘘を絶対つかない真っ直ぐな人間になるよう決心し実行していました。というよりも嘘をつくことに恐れを感じていたという方が正しいかもしれません。
大人になった今は、真っ直ぐで意志の強い向上心のある人物である評価をもらっていますが、実際はこのような過去があるから今の私になったのであり、本来そんな評価を頂ける人物ではないので、周りの人に対しても申し訳なく思います。
本当に周りに恵まれておりありがたいのですが、自分がそんな幸せになっていいのかと苦しんでいます。私がこんな人物だと知らないから優しくしてくれているのだと思います。死んでしまいたいですが、親を悲しませるのは良くないと思い踏みとどまっています。
私はこの過去を墓場まで持っていくべきでしょうか。今からでも懺悔するべきでしょうか。これからは世の中のためになることをしたいと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出来ることをコツコツと
初めまして、お早うございます。
心からの不安の叫びを受け取り致しました。
誰もが過ちをどんなに小さな事でも知らずと犯してしまったり、知っていても過ちを犯してしまう事が御座います。それに気づきを与えて頂いても気が付かず過ごす方もいるのです。
お坊さんに対する懺悔文、蜜厳院発露懺悔(みつごんいんほつろさんげ)と言う教文がございます。この教文は一般の方にも当てはまるのでは・・?と思っています。この教文を初めて手に取った時、正にその通り・・と涙が流れ止まらなかったほど心に突き刺さりました。出家する前の出来事です。そしてこの懺悔文を毎日、朝夕の読経の後に必ず全ての皆さまが犯してしまった過ちに対して相変わり懺悔をさせて頂いております。
気づきを与えて頂き、その事を心から悔やみ懺悔をし反省をされているのです。りんご様は前を向いて、しっかりと人生を歩んで行って欲しいです。
そして、口から出た言葉を消す事が出来ないように過去も消しゴムで消せません。だからこそ、出来る善きことを周りにして行って見ませんか?
私は徳を積むことや、過ちを懺悔すること・・それは無理せずに出来ることをして返して行くことと思って実践させています。
例えば・・道に落ちているごみを拾いごみ箱に捨てたり朝、玄関を掃き掃除をしているときに自宅前だけでなくご近所さまの玄関前も一緒に清掃したり。出先で道に迷っている方に声を掛けたり、道を譲ってあげたり・・
沢山、出来ることがあります。慌ただしく過ぎ去る日々だからこそ、余裕を持った心で小さなことをコツコツと実行させて頂いています。
苦しくなったとき、辛くなったときはいつでもここに来てください。
あなたらしく希望ある人生を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
永寛様
お返事ありがとうございます。批判されても仕方がないのに、あたたかいお言葉をいただけて本当に有り難いです。
教えていただいた蜜厳院発露懺悔、調べて読んでみました。冒頭からハッとするようなことが書かれており、涙が出てきました。
決して忘れはしませんが、卑屈になりすぎるのもやめようと思いました。
これからの自分が出来ることをやっていきます。少し心が軽くなりました。本当にありがとうございます。