hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きていく意味がわからない

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

自死してしまった一人娘の2回目の祥月命日。
つらくてつらくて、生きていけそうにありません。

苦しみぬいて自死してしまった娘の苦しみを思えば、わかってやることも救ってやる事もできなかった罪は計りしれません。
だから駄目な親の私が苦しむのは当然なのかもしれません。

これから先ずっとこうして苦しみを抱えて、生きていく意味も目標もないです。

娘のあとを追ってしまいたいけれど、そんなことをしたら残された主人や私の両親がどうなることかと考えると申し訳なく、どうして生きていけばいいのでしょうか


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死なせたまま、生(活)かす導きがないから苦しいのです。

人は死んだらお終い、終わりではありません。
終わりにしてしまうから苦しいのです。
お嬢様の向かわせ先、導き先を見出せておられますか。
お坊さんというのは人が亡くなった時にお葬式を儀式としてするだけではなく、きちんとそれをすることの内容、意義、引導の内容を説かなければならないと思っております。
お葬式はもう済まされたはずでしょうが、本当はその意義をお母様は悲しみのあまりに見えなくなっておられるのでしょう。だから、お嬢様が亡くなれらた後、どうしていいかわからない。何をしていいかわからない状態にあるのではないかと思います。
私も弟弟子を亡くしました。
成長が楽しみでしたが二十代でこの世を去りました。
心の中にお嬢さんの存在を感じ取れるはずです。それを霊と申します。
故人が亡くなった後も作用として精神に残り続ける感覚です。
今まで一緒に過ごしてきた。お腹を痛めて出産され、誕生を喜ばしく思った。小学校の入園から成人するまでずっと見守ってこられた。
家族です。
一生共に過ごしたい、過ごしたかった家族です。
ならばこそ、どうか、感じ取ってあげてください。
私がお嬢さんの立場で申し上げるならば、お母さん、泣いてばかりで私を苦しめるのはもうやめてほしいよ、と。
私をきちんと安心できるところまで導いてほしいよ、と。
私はこれから死んでもお母さんを見守り続けるし、導いてあげるから、お母さんも私をそういう存在に心の中で導いてほしい、と。
葬儀をするというのは故人様を立派な仏弟子にすることです。
お釈迦さまや祖師様、先達様方と同じ位に入られて、死後も私たちをお導き、お見守りくださる仏さまとして私たちがお祀りして、敬い讃えることなのです。
akさん、あなたの心の中のお嬢さんの霊をどこに置かれておられるでしょうか。
死んでしまった、失ってしまった、見失ってしまったという悲しく暗い所に位置されておられるのではないでしょうか。
そこに彼女を居させたままでいることが実は悲しみが終わらない原因なのです。
その悲しみはお嬢さんの悲しみでもあるのです。
きちんと導くべき所へお祀り、お導きしなければなりません。
葬儀の際に招かれた僧侶がそういう導きが無かったのかもしれません。悲しみのあまりにお母さんも心を閉ざされておられたのかもしれません。
心の中のお嬢さんをお導き頂けるようお手を添えさせていただきます。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お嬢さまは菩薩さまです。

お気持ちが優しく、
謙虚で慎み深く、
思いやりのあるお嬢さまは、
菩薩さまの生まれ変わりです。
この娑婆世界で、
あなたさまを母親として、
産まれてきたのです。
あなたさまを選んで
来られたんです。
美人薄命という言葉が、
ございますが、
気持ちの優しい、
生き仏さまのような、
お嬢さまだったと思います。
魂はこの娑婆世界に、
修行で参ります。
修行が終われば還ります。
お嬢さまは還っただけです。
それではどうして、
早く還ったのでしょう。
お嬢さま御自身の
修行もあるでしょうが、
あなたさまに伝えること、
そのためではないでしょうか。
何を伝えるたのか?
愚僧は思います。
あなたさまにいままでに、
味わったことない、
辛く悲しい思いを、
体験させるためじゃないかと、
思うのです。
この苦しみ、悲しみを
どう受け止めるのか、
どう立ち直っていくのか、
こんな辛い思いされた
あなたさまなら、
もっと人に優しく、
思いやりを持って
接するようになれませんか。

こんな大役ができるのは、
仏様さまから使命を
うけた菩薩さまのだけですよ。
だからお嬢さまは、
菩薩さまなんです。

母親として、
お嬢さまの供養を
されたいと思っていらしゃる
でしょう。
何が一番の供養になるのか、
愚僧はあなたさまが、
この苦しみから立ち上がり、
しっかり前を向いて
歩まれること。
あなたさまは非常に
お優しい方だと思いますが、
いま以上に、
まわりの皆さんに、
思いやりと優しさを
持って接してくださいませ。

これこそが、
菩薩さまのお嬢さまへの、
何よりの供養で、
ございます。

また、いつでもご相談に、
お越しくださいませ。

お待ちしています。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

ゆっくりとお聞かせ下さいね

拝読させて頂きました。
かけがえのない大切な娘さんがお亡くなりになりあなたは深く悲しみ生きる意味や希望をなくしてしまっておられるのですね。あなたのその全てのお気持ちは計り知れないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。

どうかあなたのお気持ちをこの場所でも或は分かち合いの会でもお話しお聞かせくださいね。この場所でも分かち合いの会の場所でもゆっくりと安心なさってお話しなさって下さいね。
仏様も娘さんも私達もあなたのそのお気持ちにいつも耳を傾けております。

仏様も娘さんもいつもあなたを思い優しく寄り添っていて下さいます。
娘さんは今はもうすでに仏様のもとにて一切の迷いや苦しみから救われて心から安心なさり、ご先祖様方や親しい方々と一緒に心穏やかにご成仏なさっていらっしゃいます。そしてあなたをいつもいつも見守っていて下さいます。

あなたのその思いをどうか仏様や娘さんにありのままお伝えなさって下さい。いつでも仏様や娘さんはあなたを受けとめて下さいます。
あなたと娘さんとはこれからもいつもいつも一緒です。あなたはこれからもずっと娘さんと生きていかれるのです。

また宜しければあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね。あなたを心よりお待ちしておりますね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

Azumaさま、花山さま、丹下さま。
御回答有難うございました。

娘を亡くしてからハスノハを数度利用させて頂いておりますが、ここに質問するという行為自体に随分と慰められております。
お忙しい中を必ず御回答を頂きまして、ありがたい気持ちで一杯です。
 
慰めのお言葉。導きのお言葉。死に対する考えかた。
僧侶の方それぞれにお考えがあって、私の気持ちに添おうとして下さっている。
とても為になり嬉しいことです。

今はまだ娘を亡くしてから日も浅く、気持ちが不安定になっておりますが、そのたびに回答を読み返させて頂いています。

有難うございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ