死にたいと思ってしまう
ため息をつくように、「死にたい」「早く死にたい」と心の中で思ったり、自宅(一人暮らし)にいるときは口に出したりしてしまいます。実際に自殺したいとは思っていないので、戸惑っています。
なぜそのような考えが浮かんでしまうのでしょうか。また、どうすればそのような考えをもたなくなるでしょうか。
多少嫌なことがある日はあれど、仕事はホワイトで、自分の時間も持てて、彼氏もいて、どちらかというと幸せなんだろうなと思っています。
それなのに、一昨年の秋に転勤してから、辛いことや不安なことがあると、死にたいと口に出してしまうようになってしまいました。
また、そのことに罪悪感を感じてしまっています。
親しい人を悲しませたり、迷惑をかけてしまうと思うので、自殺したいとは思いません。
ただ、何かの弾みで(災害や、階段で足を踏み外して…など)死んでしまえたらな、と考えてしまいます。
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解決できそうか、できなそうか
こんばんは。最初、「ため息をつくように」とあったので、のべつまくなしに想いが浮かぶのかと思いましたが、そうではないのですね。
「辛いことや不安なことがあると」との事で、少し安心しました。
「死にたい」というのは、ある意味究極の問題解決なのかも知れません。けれどそれは、また別の問題を生んでしまう、まずいやり方です。
ですから、まずは「この問題って、何とかならないかな?」を自問しましょう。先手を打つことができれば、不安視する必要はなくなります。また、「いま悩んでも仕方ないか」と決めれば、不安ではなくなります。
キリスト教の方ですが、「変えられるものは変える力を。変えられないものは、受け入れる勇気を。それらを見分けられる知恵を」という言葉があります(ニーバーの祈り。正確には検索してください)。
ただ、「死にたい」という言葉が出てくるのは、「自分にはどうしようもない」と評価している節が見受けられます。「見分けようとする」を放棄していないか、だけはきちんと振り返る必要はあると思いますよ。
あとは、自分が面倒くさがりなのか?です。物事を「面倒か、否か」で判断する癖を持っていると、幸せにを掴みにくいように思います。問題が発生するのは、「今までの自分では対処できない」ということですから、裏を返せば「一歩成長するきっかけが来た」でもあるのです。