生き方
行きづらい人生を、生き抜くアドバイスを下さい。
死ぬ事しか、頭に浮かんできません。
どうか、アドバイスを下さい。
生きる事が、下手な私に、お願いします。
もっとズル賢く生きられたら、こんなに悩まず生きれたのかもしれません。
悪い人の方が幸せなんですね。
生き方の下手な私に行き抜くアドバイスを下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「よくお越し下さいました」
「生きよう」とお考えになってのご質問と解釈致します。
最初にお断りしておきますが、仏様の教えは、「苦しい」を「楽しい」にするものではありません。
「苦しい」を「苦しいではないものにする」が基本スタンスです。
さて、その作業には何が必要か?というと…
必要なものは『正しい受信機』と『正しい解析装置』です。
『受信機』とは「ものの捉え方」です。
私たちは、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり…して身の回りを感得しておりますが、意識的にも無意識的にも、自分に必要な情報だけ受け止めているので、「取りこぼし」があります。
そして、その「取りこぼし」に気づいていません。
先ず、「取りこぼしがある」と自覚することが大切です。
『解析装置』とは、「ものの考え方」です。
「世の中の不平等」→「怒り」
「親しい人との別れ」→「悲しみ」
受信機で集めた情報を『自分が正しいと信じている』解析装置にかけて、怒りや悲しみとして考えます…
そしてそれらが自分の望むものでないと、「辛く」なります。
これが『苦しみ』です。
…でも、よく考えて下さい。
そもそも解析装置にかける判断材料(受信機で集めた情報)が、取りこぼしのある不十分なものでした。
不十分な材料を自分に都合の良い判断した結果が『苦しい』だっただけで、他の材料まで補填して判断の視点を少し変えれば、『苦しいではないもの』になる可能性があるのです。
自分には集められなかった情報…
自分には下すことのできなかった判断…
これを補うことができるのが、他人のアドバイスだったりするのです。
今までの自分を全否定するのではなく、補填を含めて今までを『分解・再構築』する…
今まで『苦しい』でしかなかったものが、『苦しいではないもの』になるかもしれません。
『苦しいではないもの』に変えることができれば、今より少し生きることがラクに思えるかもしれませんょ♪
今回は概念的なお話をしましたので、イメージしにくかったでしょうか…
具体例を挙げて質問して頂ければ、イメージしやすいお答えができるかもしれません。
ハスノハはお坊さんの問答サイトですから、どうしても『仏教的な見立て』にはなるかもしれませんが、経験・知識が豊富な回答僧から色々なアドバイスがもらえると思います。
あなたの生き方のヒントになりますよーに…
質問者からのお礼
ありがとうございます。
狭くなった視野を広げて生きてみます。