過去の後悔
長文失礼いたします。
私は過去に妻子持ちの男性と不倫をしてしまいました。
当時社会人1年目で世間知らずで本当に馬鹿でした。ひとまわり歳上で雰囲気も容姿も良かったその方に飲みの場で誘われ、そこから1年弱関係を持ってしまいました。
その方は、家には居場所がなく夫婦関係も冷めきってると言っており私はそれを信じて支えてあげたいと思ってしまっていました。
関係を持って半年位のときに奥様が妊娠中であることを知りました。私はそのときに関係を辞めたいと伝えたのですが意思が弱く上手く丸め込まれて関係を切れませんでした。それから数ヶ月後に奥様にバレて関係を切りました。相手は離婚はしませんでした。バレた際に奥様から電話で話し、1番許せないのは妊娠中だったことで、あなたは将来子供を産む権利なんてないと言われました。家庭を壊してしまったので当然だと思います。そしてその後慰謝料を支払い、終わりました。
それから2年程経ち、彼氏ができました。彼は周囲の皆が認める程に良い人で心から信頼できます。
私なんかがこんなに良い人と付き合って良いのかという気持ちに苛まれて、付き合って数ヶ月経った頃に過去にした罪を告白しました。彼は受け入れてくれました。このときに何があってもこの人を裏切らないと決めました。
その後共通の友人から彼は将来私との結婚も考えているそうだと教えてもらいました。正直嬉しかったですが、他の家庭を壊した過去を持ちながら自分はこんなに良い男性と幸せになっていいのかと思います。私が酷いことをしてあちらの奥様の方が何千倍も傷ついたに決まっているのに何を言ってるという感じですが、子供を産む権利がないと言われたことが引っかかり未だに眠れなくなることがあります。
文章からも伝わると思いますが加害者のくせに罪の意識と同時に被害者のような気持ちを持ってしまっていることに自分でも許せません。
最近ワイドショーで芸能人の不倫報道に世間から批判が殺到している様子を見て、改めて自分はとんでもないことをしてしまったと自覚しました。
こんな人間は一生幸せになる権利はないですし、幸せになろうとしても幸せにはなれないのでしょうか?
これを見て気分が悪くなった方申し訳ございません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
懺悔されているのです・・仕合せに歩んで欲しいです。
初めまして、お早う御座います。
心からの訴えを拝見させて頂きました。
不倫を肯定はしません。心永寺にも不倫のご相談をされに訪れる方がおられますが、その不倫が大きなリスクを背負ってまでの覚悟あるものであるのなら続け、なければやめてくださいとお伝えしています。止めたいのならご相談に来られないはずです。
覚悟と言う言葉は、仏教用語です。覚も悟も共にさとりとも読みます。仏教において覚悟とは”さとり”の事を指します。さとりとは・・本当の自分を知るということです。自分がどんな存在なのかを知り、現実を見つめ、それを受け止める事・・それを覚悟と言うのです。
どんな事にも思い通りにならない事があり、そのことが多いのです。これを一切皆苦(いっさいかいく)と言いお釈迦様のお言葉です。
あなたは気づきを与えて頂き、その事に反省をされたのです。その時点で懺悔をされたのです。身も心も傷つき、その出来事をしっかりと彼は受け止め、理解をされているのです。あなたも信じて打ち明けられ、彼も受け入れてくれる・・お二人とも勇気がありとても素晴らしいです。誰にでも平等に、仕合せになる権利が御座います。心の傷は絆創膏を貼って治せません。結果もすぐに出す事は出来ません。焦らずにゆっくりと心を取り戻し、笑顔で彼と人生と言う冒険旅行を仕合せに歩んでください。
運命も、人生も、自分で変えられます。描くのも、主役もあなたです。そして、あなたに変わる人はいないのです。
実践をすることを仏教では、起行(きぎょう)といいます。願いを持って、行動する事が大切です。
合掌
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
心が救われた気分です。
何度も頂いた回答読み返そうと思います。本当に心より感謝いたします。