妻の納骨など
妻が40代で病気で他界しました。
生まれた時から日蓮宗に馴染んでいて、影響を受け子供も日蓮のお経が好きになりました。
葬儀は、私の家系、まだ私の父がおり、丸く収めるために浄土真宗にしました。
49日、仏壇も浄土真宗にする予定です。
しかし葬儀後、子供達(6歳児、12歳児)から、49日以降は浄土真宗にしようといわれ、反対されたのです。
私も日蓮にするべきだったのではと、引っかかっており、次からは日蓮でいこうと考えております。
すでに仏壇まで、浄土真宗にしてしまったのに、日蓮宗の方に頼んでお経は読んでいただけるのでしょうか?無理ならどうすればいいでしょうか。
納骨場所も日蓮宗にするか、親にしたがうかまよい、自分にとって何が大切にすべきか訳が分からなくなってます。
その間にも日蓮宗の自宅近くの納骨場所は予約がいっぱいになっていくし、子供達の希望を叶えてやりたいのに、父が納得せず、このまま家族関係が崩れるのではと心配です。
妻のためには、自宅近くの子供達が参りしやすい日蓮宗の納骨場所が一番いいと思うのですが、父がまだ健在なので、簡単に即決できず、浄土真宗のお寺の納骨場所にしようか迷います。
浄土真宗のお寺場合、父と妻が後は一緒に入ることになり、浄土真宗と日蓮宗のお経を二人に聞かせることになります。
これは大丈夫でしょうか。無理ならどうすればいいでしょうか。
妻が亡くなり1年経ちません。
私達家族は、毎日家族揃って浄土真宗の仏壇に妻が覚えようとしていた、日蓮宗のお経を流しながら手を合わして毎日暮らしています。
納骨って気にならないんですが、場所がなくなっていくため、毎日悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご遺志を尊重していいと思います。
追伸:お礼メッセージありがとうございます。日蓮宗のお経が好きとのこと。なぜ好きなのか、何故いいと思うのかを説明できるようになれば、お父様も納得されるのではないかと思います。少し法華経の勉強をしてみませんか?納骨は急がれなくてもいいと思います。もしよろしければ、メールいただければ、法華経の解説本とかを紹介させていただきます。お節介に成るようでしたら、気にしないでください。再礼
なふ 様 相談ありがとうございます。
まずは、奥様の事、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
私は日蓮宗(兵庫県)の僧侶です。
私自身は、浄土真宗の仏壇でも頼まれれば、日蓮宗の法要で、読経、供養させていただきます。
お父様の家の宗教としての考え方と、奥様の信仰と違いが生じて板挟みのようですが、家の信仰を重視するのか、個人の信仰を重視するのかの判断は、家族でお決めになるのが一番です。よく家族で話し合ってください。そして、なるべくなら、亡くなられた方のご遺志を尊重してあげるのが宜しいかと思います。
また、納骨場所ですが、宗派を問わないお近くの所(日蓮宗のお寺でも、浄土真宗でもお寺でも構いません)が、宜しいと思います。家族ですぐにお参りできるところが、奥様も喜ぶんじゃないかと思います。
詳細の疑問点がありましたら、またご相談ください。
一礼
お経は残された人が聞く―亡き人が命をかけて作ってくれたご縁
ご相談拝読しました。奥様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
私は浄土真宗の僧侶です。
とても大事な問題なので、今すぐにどちらかに決めてしまわず時間をかけて決断をなされた方がよいと思います。
この内容をそのままその浄土真宗のお坊さんにぶつけてもいいでしょう。それで答えてくれないのなら踏ん切りもつくかもしれませんし。
私としては、この問題は奥様の問題でもお父様の問題でももちろんあるのですが、誰よりもあなた自身の問題であると思います。だから最終的にはあなたこそが救われる教えに決めていただきたいです。
供養の気持ち、つまり亡き人を大切にするとは、亡き人が大切にしていたことを残された人も大切にすることです。
すると、亡き奥様が日蓮宗だったのだから日蓮宗でいいのではないかと思うと思います。
しかし奥様が大事にしていたのは日蓮宗の教えによってご自身が救われることだったのではないでしょうか。
それならば、あなたが奥様の意志を大切にするためにはご自身の救いをこそ明らかにしなければなりません。
お経は生きている人にむかってお釈迦様が説いた教えです。亡き人に聞かせてあげるものではなく、亡き人がその命のおわりを縁として、つまりは命をかけてまで残された人に教えを聞かせてくれるものです。
亡き人の問題にして、亡き人がこれで満足だろうと思う自分の思いに満足するためのものではないのです。
たしかに納骨場所の選択のために早い決断の方が選択肢があるのかもしれません。しかし決めてしまって納骨した後で後悔したならば、より大変なことになります。
どうか奥様の願いを真摯に受け止め、あなた自身の問題としていただいてみましょう。
亡き人とどのようにこれからも出会い生きていくのか。それは自分自身を明らかにすることでしか確かめられません。
亡き人とは、もう生前同様に触れ、会い、語ることはできなくとも、声なき声を響きとしてき聞き、願いを受け止め、思いを超えて出遇うということは、あなた自身の歩みでしか証されないのです。
49日、100か日、一周忌、三回忌くらいまで、たとえば交互に宗派を変えてみるとか、それぞれのお寺に足を運び、とことんお寺さんと話してみるとか、そうしたことをしてみてもいいかもしれません。
簡単なことではありませんが、要はそのくらい大切な問題ということです。
質問者からのお礼
ご意見ありがとうございます。
私だけの思いだけでなく、妻の生き方を教わり日蓮宗のお経が好きな子供二人の意見もきき、時間かけて決めたいと思います。
49日たっていないし、近くの納骨先の方にも悩みをぶつけてみたいです。
まぁ、そうして近くの日蓮宗の納骨堂に預けたいのですが、ホント、難しいですね。
結局、誰かの意見は捨てなくてはならない。捨てるつもりはなくても、捨てられた者は理解できずにいる。
一番は、円満に皆が納得する事なのですが。