謝らない人
職場のバイトの子で10代後半から20代前半の子で、謝らない子がいます。もしかしたら謝れない子かもしれません。
失敗したり、自分の不注意からくるものでも、こちらから言っても『はい。』しか言わなくて、『すみません。』という言葉がないのです。
私は失敗に対してキツく注意したり、怒ったりする事はしません。だけど、現状説明は、その人に合わせて言っています。他のスタッフが細かく言動や行動を注意しても『はい。』しか言わなかったらしいです。
間違ったことをしたらすみません!と言うという意識がないのでしょうか?
前に、商品を落としたり売り物に出来ない状態にした子がいて、とっさにすみません!とはなく、『これ、落としちゃったんですけど。』とか『あ。。。』で終わってしまった子もいました。
勿論、ちゃんとごめんなさいを言えるバイトさんもいます!
謝らない、謝れない、のは何故なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自己中心にどれだけ気付けるか
こんにちは、はじめまして。
過去のご質問も拝見しました。お仕事、勉強に頑張っておられるのですね。充実ともいえましょうし、お疲れのこととも拝察いたします。
以前、「すみません」じゃ駄目ですか?、という御質問をされていますね。不慣れでミスをして謝った。けれども、それ以上に何が悪かったかを問われて困惑されたという事でしたが、今回はそもそもその謝ること「すみません」自体がない他者とのことなのですね。「謝らない、謝れない、のは何故」と仰るやり場のないお気持ちが伝わってきます。
仏教では、基本的に人間は自己中心ということ、またはその自己中自体への鈍感さが人生苦の根本原因と考えます。自分の都合で良い、悪いを決める。つまり、自分を基準にしているのです。そういった根本のところでは、私も、あなた様も、そのバイトの子も同じです。ただ、その自己中であるところを、周囲の人や、仏様等に気付かされてどれだけ省察できるかが大切です。
現代の子は、怒らない優しい大人に囲まれて、自己中を見直すことが減っていると思います。ひと昔前が良かったと単純には言いたくありませんが、その傾向が現代にはあると私は感じます。悪いことをしたら地獄に落ちる、という言い方もほとんど死語になった感があります。自己中の人が受け入れやすい言い方でなければ気に入らない、受け入れないという考え方が静かに定着しているように私は思っています。
謝るという事は、自己中の自分、天狗になった自分を傷つけることです。他人から言われて、自分の行為、内面を見直さざるを得ない。見直さざるを得ないけれども、口に出して認めたくない。だから、すみませんではなく、「はい」程度になるのでしょう。
「謝らない、謝れない、のは何故なのでしょうか?」という問いでしたから、その原因は以上に挙げたところだと私は思います。もし、そのバイトの子に何らかのアプローチが出来るとしたら、感情的になるのは逆効果だし、相手にも伝わるので、その子に合わせた傷つかない言い方になるでしょう。
その心は、先ほど申したように、書いている私も、あなた様も、そして皆が自己中なのだから、お互い様という心を持てば少し心の余裕も持ちながらアドバイスできるかもしれません。
ご参考になれば幸いです。
お仕事頑張ってください。応援しています。
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
自分自身が立場が上に立つ人間となり悩みも別の悩みが出てくるようになりました。
お坊さんのお言葉、なるほど、、、と思いながら読ませて頂きました。
とても参考になりました。
有難うございます。