自分がわからない事がある
言いたい事を言って相手を傷つけたり、我慢が、できたくなってきた事が多くなりました。
自分でもわかっているんですが、最初は愚痴で、始まり、思うようにならないと、怒り散らす。
精神的に、疲れてるだけならいいですが、不安が、大きくなると余計色々考えてしまい 何もいわせない状況を作ってしまいます。
人に優しくするにはどうしたらいいでしようか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日常の大概の結果はどうでもイイ
私は数年前、短期ながら東南アジアの某国で上座部仏教の修行をして来ました。南方の修行は掃除をしません。尼僧さん(男尊女卑がかなり残っている地域でした)や小僧さん、お檀家さんが掃除をして、成人男性の僧侶は自室くらいしか掃除をしません。
裸足やサンダル程度の生活で、アッチ特有のスコールの気候ですので、ヒザから下は汚れるのが前提です。一応、建物に入る前に足拭きマットでグイッグイッとしますが、まぁ限界があります。水場で洗っても、水場から帰ってくる時にまた汚れます。当然、建物の中も泥や小石が入ります。そんな所で寝起きして誰も気にしません。そういうものなのです。
窓には金網や鉄格子がはまっているだけで、ガラスは裕福な家にしかありません。ドアも隙間だらけですので、虫が自由に出入りします。アリや羽虫だらけの布団で寝ます。寝ている間に潰してしまいますが、寝ている間は殺意が無いから殺生にならないそうです…う〜む。。。
そんな生活をしていると3日目くらいから裸足でぬかるみを歩いても、地面の水たまりの上澄みでジャバジャバ洗うと「よし、綺麗になったな」と思えるようになってきます。
そして気付きます。「たいていの我慢って、大して重要じゃ無いんだな。」足が泥だらけになったら洗えばいいし、床が汚れれば掃けばいいし、床に足を洗った水がついても乾けばいい。それで困ることは何もない。ただ、人の価値観が勝手に我慢しているだけ。
結局、人間は心の中でハードルを上げれば上がるほど、自分自身が窮屈になります。そのハードルが他人に向いていたとしても、他人が自分の思い通りにならないという形で自分に返ってきます。
思い切ってバカになって、損しちゃうくらいの方が楽なんですよ。コンビニのレジで並んでて、割り込まれました。で、何?1分1秒を争う状況ならともかく、それは割り込んだ人の心が窮屈なだけで、わざわざそれに付き合って自分の心まで窮屈にすることこそ損です。先に行くなら行けばいいじゃ〜ん」くらいの腹づもりの方がストレスになりません。その方が賢いのです。
なにも無限の慈悲心を起こして優しくすることは無いんです。優しい生き方のほうが楽だから、賢いから優しくしよう。そこから始めれば十分ですよ。
小さな親切を反復し、心に親切を癖にしてしまいましょう
http://hasunoha.jp/questions/3597
質問者からのお礼
ありがとうございました。
すみません、賢いから優しくしようとはどういう事から始めればいいんですか?