妹の闘病が辛そうで私まで辛いです
お坊さん初めまして
私は現在上京して大学に通う学生です。
私と妹は双子で生まれた時からずっと一緒で大学は違えど住む家は同じで離れたことがありません。
仲が良いかと聞かれたらそうでもない時もありますが、お互い共通の趣味があってそれなりに楽しく生活しています。
前置きはこのくらいにして本題に入りたいと思います。
私と妹は現在三年生でまさにこれから就活なのですが、妹の持病が悪化し手術をすることになりました。
その症状が出る度に救急車の中や病院で毎回泣き叫んでいる姿を見ているだけで痛さや辛さが伝わってきて私は耐えられませんでした。
今回は手術ということもあり痛みがその比ではなく、妹の辛そうな姿に耐えられる自信がありません。
普段から人の気持ちを人一倍共感してしまうため、身内となると痛みや辛さなどが自分まで感じているような感覚になります。
それと同時に自分が何も出来ない無力さやなぜその思いをするのは自分ではなのだろうかという後悔でどんどん自分自身まで辛くなっていきます。
こんな時どうしたらいいですか?
私がどんな言葉をかけても妹が良くなるわけでもないですし、かと言って辛そうな妹の姿を黙って見ていられることもできません。
何かこの気持ちを楽にできる方法はないでしょうか
泣きながら打っているので、文章がぐちゃぐちゃで読みづらくてごめんなさい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたのままで素直に寄り添ってください
初めまして、今日は。
私は、30代になったばかりに結婚をして数年後に妻を脳腫瘍で看取りました。最愛の愛おしい妻の異変に気が付かず、自分を責め追い詰める程でした。
辛い時や、苦しい時は言葉など一切いらない”無言の寄り添うこと”も大切です。純粋な思いは、必ず届きます。残された時間、妻の為に何が出来るのか・・必死に、必死に考えました。その時に、無言の介護を知りました。何も語らず、ただ一緒に隣に座っているだけ。時間を共有するのです。それだけで、不安も、寂しさも拭って上げられるのです。その経験を活かして、介護職時代にも何度もターミナルケアをさせて頂いた時、数分でも心と寄り添わせてその苦しみ、寂しさ、不安を拭って過ごさせて頂きました。
大切な方を思って何かをしたい・・その見返りのない心こそ大切なものはございません。その思いこそ、大切な方の為に・・もう何かをしている瞬間なのです。
無理にこれをしなければ・・と、とらわれずに。いつものあなたのままで、出来る事を無理なくして見てはどうでしょうか?
辛い時、苦しい時は留まりません。時間や季節が移り行く様に、その辛さや苦しみも必ず動き出します。そして、その様な中に必ず・・善き出来事もひょっこりと現れます。善き事ばかりで、苦の出来事が少なければ・・”有り難み”=ありがとうの心を忘れてしまうからなのです。
苦しい時などこそ、心をその出来事にとらわれずに、心おだやかに、過去でもない、未来でもない、今日と言う二度とない日を大切に歩みませんか?その大切な出来事をあなたは気づきを与えて頂いたのです。
宿命は変えられませんが、運命も人生も自分自身でいくらでも変えられます。善き事を願い、行動をして、妹様と一緒に笑顔に戻り自分らしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心より願い祈っております。
いつでも苦しいときはここに来てください。
合掌
質問者からのお礼
永寛さま、ご回答頂きまして誠にありがとうございました。妹の手術は前途多難ながら2月に無事終了し4ヶ月が経過しました。私の役目は相手の不安を少しでも無くせるよう手伝う事だと改めて心に決めて手伝いをしています。お坊さんにこうやって自分の不安な気持ちを打ち明けだからこそ今妹のリハビリに前向きに付き合えているのだと思います。貴重な時間を割いてお読みいただき本当にありがとうございました。コロナウイルスが終息した際にはお寺に妹と共に足を運ばせて頂きたい所存でございます。どうかお身体ご自愛くださいませ。