真言宗智山派の僧侶になりたい
最近、人生に行き詰まっています。
そんなとき、得度をして「僧名」が授かれ、修行をすれば「僧位」が得られます。
私はお金や知識は乏しいですが、形だけでも僧侶になりたいと思っています。
ちなみに自宅近所に真言宗智山派の寺院が2カ所あります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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僧侶は何をすべき人か?
日本には駆け込み寺などという言葉があって、人生に疲れ果てて生きる気力を失ったひとたちが救われる最後の拠り所がお寺、みたいに思ってる人もいるようです。駆け込み寺へ駆け込んだ人はそこで出家して僧侶や尼になるわけでなく、衆生済度という、困ってる行き暮れた人を自己犠牲を払ってでも助けることを自分の役割だと自覚している僧侶に手助けされて、また社会復帰していくのが駆け込み寺です。
昔から無常を感じて出家して世間と無関係に隠遁することを出家みたいに思ってきた向きがありますが、寺は侘び寂びの気持ちで世間から隠れる場などでなく、街へ出て困窮した人達に積極的に手を差し伸べて衆生済度をする、自覚した僧や尼僧の活動の拠点なのです。
形だけの僧侶なんてのは存在し得ない。
今までの無気力な暮らしを払拭して活動的な有能な人生のヘルパーに我が道を切り替える覚悟ならば、寺院の門を叩かれたらいいでしょう。
格好だけの偽坊主養成のお寺などはありません。
難しいが不可能ではない
まず年齢的な問題があります。僧侶は得度を受け僧籍登録し小僧から始まって昔なら檀林今は宗門大学に進まないと僧階は取れず、真言宗智山派なら大正大学です。そこで加行単位を取って加行を受け、卒論を出せば正式な坊さんにはなれます。しかし、その後も役僧として寺に勤めて、やっと住職になれる僧侶養成システムです。今から大学行けますか?厳しい修行にたえられますか?私は何とか僧侶になりましたが、寺は休職して17年になりますので、形ばかりの僧侶です。在家仏教ではなぜいけないのですか?また過去には偽僧侶養成の寺はありました。葬儀社が偽僧侶を養成したこともありました。また遁世僧モデルと言い、出家して、更に遁世したのが、鎌倉仏教でした。僧階持ってる実質的な在家もたくさんいますよ。還俗には意味がないのでね。破戒僧が公認されたから、今の僧侶は在家と同じです。問題はあなたが僧侶になって何がしたいかです。自己満足だったらやめた方が良いです。自行化他(じぎょうけた)です。他人の役に立ちたいと強くねがうなら、今から得度を受け、大正大学行って僧階とることですね。