自分を愛することができません。
私はもう26歳にもなるのですが、どうしても自分をあるがまま受け止め、愛することができません。
容姿も大嫌いだし、嫉妬深くて卑屈でネガティブな性格も大嫌いです。
ですが、男性と一度でいいからお付き合いしてみたく、また贅沢を言うなら結婚したくて、自分のことをまず愛せるようになりたいと思いました。
恋愛経験がないためどうすれば恋愛が出来るか勉強するうち、自分を愛せない人は他人からも愛されないということがわかりました。
理由は理解できましたが、人から愛されるためにまず自分を愛そうと思っても、どうしてもできないのです。
自分が好きになれない自分を他人に好きになってもらおうなんて、おかしな話だとは思いますが…
見た目も中身も少しでもまともになるよう、努力はしています。
でもどれも実ることはなく、かえって自己嫌悪に陥ってしまいます。
男性から愛されたいから、という理由が邪であることはわかっていますが、死ぬまでにどうしても経験してみたいのです。
どうすれば自分自身を受け止め、愛することが出来るようになるのか、アドバイスをいただけると幸いです。
纏まりの無い質問で大変申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「あるがまま」は「なる」ものではない
ご相談拝読しました。
「あるがままになろう!」というほど「あるがままでない」ものもありません。「あるがまま」とは「なるもの」でなく、既に「そうある」ものです。
自分が好きとか嫌いとかでははく、どんなに嫌であろうとも、この自分以外に自分などいないというのがあるがままです。
自分が嫌いというのもある意味では自己執著の裏返しなのです。
「あるがままの自分」でなく「自分の理想の自分」という「思いの中の自分」に執着し、そうでない現実の自分を責める。あるいは現実の自分を受け入れてくれないとして世の中を責める。
人間はあるがままで物事を見ることが出来ないので、必ず評価を通して見てしまうのです。
善・悪 優・劣 大・小 美・醜
など、二元論として分別・評価し、それに自ら苦しんでいく。
本来はその評価以前にそのものはそのものとしてそこにあるのです。あなたはあなたとしているのです。
>男性から愛されたいから
という気持ちが邪だというのもあなたの評価です。でもそれは人間が持って生まれた本能でしょう。そう否定するべきものでもありません。
自分を無理して好きだとか愛するとかではなく、この自分以外に自分などいないという事実に腹が括れたならば視野も広がってくるように思います。
常に評価に振り回され、あるがままでいられない自分の姿に気付かせてくれるはたらきが「如来(如〔あるがまま〕より来る)」=「仏様」であり、私たちは常にそこに逆らおうと苦しむ者です。
あなたはあなたでしかない。自信をもって出会いを求めましょう。
質問者からのお礼
とても丁寧な回答をいただき、ありがとうございます。
自分が嫌いだと思ってしまう原因や、評価を気にしすぎるあまり余計に苦しくなる現実などを教えていただき、本当に目から鱗でしたし気持ちが軽くなりました。
評価以前にあなたはあなたとしている、というお言葉が本当に身に染みました。
何があっても私は私なんだと思うことができました。
まだ完全に胸を張ることは難しいですが、いただいたお言葉を忘れず、少しずつ私は私だという事実を受け止めようと思います。
他でもない私として、前を向いて生きていきます。
本当にありがとうございました。