生きる意味が見つからないです
私の夫は2、3年治療をし、最後は家に戻り、とても喜んでいましたが、戻ってたった3日で行ってしまいました。
治療中は夫を失う恐怖で泣いてばかりいました。なんでも痛みを分かち合ってくれ、受け止めてくれる人でした。夫は死ぬのは怖くないけど、私を置いていくのが辛いと最後まで心配していました。
心配ないからなんて夫に言っていたのに、全然だめです。
夫が心配しないように生きていかなくてはと思い、友達に助けを求めたり、カウンセリングを調べたり、道が開かないかとジタバタしていました。でもやはり悲しくて仕方なく、だんだん、生きてる意味ってあるのかと思うようになってきました。
ただ一緒にいるだけで楽しいねと言い合っていたのに、今はいないのです。一緒に経験を共有出来る幸せはもうなく、空虚な日常があるばかり。時間が癒してくれると多くの人はいいますが、今が苦しいです。
最初は、自分や夫の母も見ないといけないし、生きていなくてはと思い、自分が死んだら夫に会えるんだと励ましてきました。あんな幸せを味わえたこと自体が私へのプレゼントだったんだと考えようとしました。
そんなことが虚しく感じて辛いです。最愛の人をなくしても生きている人はいっぱいいるようです。どうしてそんなことができるんでしょうか。子供がいれば生きるべきだと思いますが、一人きりですし、生きている意味が見出せません。
自分にはこんなに心配してくれるんだという友達もいて、ありがたいと思うのに、このままの私では嫌われてしまうでしょう。私はどうしようもないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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深く愛していたのですね
ご相談を拝見してあるお母さんを思い出しました。
旦那さんが亡くなって何年も悲しみ泣いておられた方です。あるとき「泣き悲しむのはいけないことですか?」と質問されました。親戚にいつまで泣いているのだと言われたようなのです。
誤解を招かなければ良いなと思いながらも、正直に思ったことをお話しました。
次のような事です。
気の済むまで泣いてください。泣くという事は豊かな事だと思います。何年も悲しむ方と出会えた事は本当にその方と歩んだ人生は実りが多く豊だったのですねと。私たちは悲しさに心が向かいがちですが、悲しさの底には共に歩んだ喜びがあるのではないでしょうか。
そして亡くなった方は消えたわけではありません。その方の魂(いのち)は今でも貴方のもとを離れていないのではないでしょうか。今後人生を歩んでいくと時折その方の声が聞こえると思うのです。その声を聞く生活が開かれる事を祈りましょうとお伝えしました。
私が言えるのはこれだけです。
ご主人と繋がっている!!
追伸:遅くなりましたが、お礼メッセージありがとうございました。次の質問で供養の事を問うておらますが、難しく考えずに、お花やお菓子・果物をお供えして魂を安らかにすることだと思ってください。お経をあげたり塔婆を建てることも供養になります。そして仏教は慈悲の宗教と言われます。喜びを分け合い、悲しみを理解することです。暖かさ優しさを感じてください。これが始まりです。またご質問ください。合掌礼拝
木の葉 様 相談ありがとうございます。
まずは、ご主人のこと、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
最愛の人との別れは、だれでもあなたのような苦しみを体感します。
哀しみ、混乱、否認、怒り、抑うつ、諦め、転換、等の気持ちを繰り返しながら、やがて受け入れがおこり、再生したような感覚が得られてくると言われています。
おそらく、木の葉様も哀しみからの感情をぐるぐる巡っているのではないでしょうか!「わたしはどうしようもない」と思ってしまうのは、致し方ないのです。貴女の心が弱いわけでも、貴女に責任があるわけではありません。
別れは悲しくて辛い、しかし貴女には、ご主人と過ごしてきた日々があります。
かけがえのない宝物です。哀しみの時点から、素晴らしき宝物の日々を思い出し描いて綴ってください。想像でいいのです。繰り返し繰り返し思い返してください。また、時には、ご主人に抱きしめられたことを思い出してください。思いっきり泣いてもいいし、その時の感覚が蘇るのならその感覚を味わってください。そして、ご主人からメッセージを受け取ってみてください。突拍子もない事を言うようですが、そのご主人のメッセージがあなたのパワーフレーズになるでしょう。
さらには、ご主人と繋がっていることも感じるでしょう。供養する側と供養される側という立場があるように思うかもしれませんが、供養は届いて、回り向かい(これを回向(えこう)という)木の葉様に供養が、繋がりやメッセージとして返ってくるのです。そのことを信じてください。
木の葉様がこれから顕すのです。
お読みいただきありがとうございました。
辛い苦しい時は、またご相談ください。再礼
質問者からのお礼
桃川様、悲しみに心が向かいがち、本当ですね。楽しいことを思い出してるのに悲しく受け取るなんて、もったいないことですね。
釋様、供養が届いて回り向かう、回向ということを考えたこともありませんでした。
お二人とも、何度も読み返したくなる素敵なご回答をくださり、離れたところにいらっしゃる方から悲しみに寄り添っていただけるご縁をくれたこのサイトもありがたく感じています。回答を見るのは怖かったのですが、うまく言えませんが心にじわっと来る回答をいただけてとても嬉しかったです。ありがとうございました。
供養のこと、教えていただいてありがとうございます。それでいいんだと思うとホッとします。