私を看病することになる家族に対して。
こんにちは。いつもお世話になっています。
去年から患っていたDIHS(薬剤性過敏症症候群)はいつか治ると思っていましたが、認識が甘く一生治らず、風邪薬や鎮痛剤や抗生物質なども服用してはいけないと言われました。風邪どころかインフルエンザや肺炎も寝て治すしかない状態です。
この先、薬のせいで死ぬか薬が飲めずに死ぬか、といったような死因がある程度見当がつくような状態になりました。笑い事ではありませんがもう笑うしかない状態になりました。
死ぬのは怖くはないのですが、周りに今後も薬剤性の発作を起こしたりして病気で迷惑をかけます。迷惑をかけながら死んでいくんだと思います。
誰もが誰にも迷惑をかけずに死んでいく訳がないのはわかっていますが、家族が気の毒です。
私の周りでは病気で亡くなった方はいませんし、接したことがありません。
病気で家族に迷惑をかけずに、せめて心に負担をかけずにするためにはどうしたらよいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な心をとらわれずに。
初めまして、お早う御座います。
心からの不安などを拝見させて頂きました。私は、30歳初めに手術が出来ない脳幹部にある腫瘍で妻を見取りました。手の施しようがなく・・痛みのケアだけの死を待つのみ日々を宣告され、気が狂いだしてしま想いをひたすら縛り付けて当初を過ごしていました。残された時間をどう過ごすか・・と、思考が変わりました。
今、母の亡きお兄さんの長女が、私と同じ境遇にいます。彼の癌が全身に回り手の施しようがなく・・自宅で予後を過ごす選択をし、結婚をしました。在宅クリニックを使い、訪問入浴を使って、時にベッドが揺れるほどの痙攣がある中で、いつ訪れるかわからない先を思って、不安になり心配になるよりも・・今を大切に生きよう!と、本来の夫婦である労わり、私が過ごした時と同じように支え共感をして笑顔で過ごしています。
人生は長さなどではありません。人と比較をしたりでもありません。
生まれた時のスタートと、辿り着くゴールは誰もが一緒です。その中で、人生という冒険旅行のストーリーだけが違うのです。いくらでも自分で描き演じ、途中で人生も運命も自分自身も変えられリスタート出来るのです。迷惑ではありません。人は一人では生きてゆけません。様々な方のバックアップがあり支えがあって今を生きているのです。生きている意味の答えをすぐに求めようとはせずに・・あなたらしくこの二度とない瞬間を、あなたらしく過ごして見ませんか?きっと思考を変えると・・私とおなじように、目の前のあるもの全てが違って見えてくると思います。
誰もが、明日の命や明日が訪れる事は保証されていません。ですが、大切な心を奪われたり捕らわれていては、この瞬間を楽しく過ごせません。訪れていない出来事を思って不安にならず、今を存分に感じて過ごして見ませんか?
出来る事を無理なく周りにお返しをする事は、ご恩返しでもあり得を積むということにも繋がります。例えば・・笑顔ですごすこと、言葉使いを変えてみる、ありがとうと笑顔で自然と答えられるようにしてみる・・無理なくするのではなく、させて頂くいう見返りのない心で行うのです。笑顔ほど素晴らしいものはございません。ご家族も、あなたもお互いが大切な時と気づきを与えられているのですから。
いつでも苦しい時、不安な時はここに来てください。
合掌。
病になったからこそ、気づくことがある
20代のころ、視神経が炎症を起こし視力がほとんど無くなったことがあります。最初に行った眼科の医師は「脳腫瘍の可能性があるので。大学病院に入院しなさい。」と言われ、入院しました。幸い脳腫瘍は無かったけど、視力はさらに悪化していき、治療方法は無く、お先真っ暗な状態の日々を送りました。眼科とは言え、大学病院に入院している患者さんですから、いろいろと重病難病の方も居られました。私同様にただただ落ち込んでいる方も居れば、眼の光を失っても前向きに生きようという気持ちの方も居ました。
当時の職場を休職させてもらい、田舎の実家で静養させてもらいました。地方都市の眼科や大学病院にも行ったりしましたが、根本的な原因はわかりませんでした。休職して10か月たった頃から視力が回復し始めました。医者からは明確な因果関係の説明はありませんでしたが、仕事でのストレスが視神経に影響していたのかもしれません。
失明かと思った時は、かなり絶望的な気持ちになりました。視力の低下を経験し、大学病院でいろんな眼病患者に接しただけの経験でしたが、それだけでもだいぶ「心の眼」は開かれたように感じました。
医学の進歩で不治の病が治療可能になった例も多数ありますが、新たな難病に苦しんでおられる方も少なくありません。まんまるさんの辛く不安な日々を送っておられることと思います。でも、病を通していろんな「気付き」を得ることもあります。病が大切なことを教えてくれることもあります。
私は治ってから、日記をつけておけばよかったなあと思いました。人間の心なんて、いい意味でも悪い意味でも、移ろいやすいものです。仏様や聖人君子になったかのような崇高なる境地になることもあれば、愚痴や悪態ばかりを繰り返す落ちこぼれ状態になることもあります。そういうように波立つ自分の心を日記に書き留めてみたら、如何でしょうか?落ち込むことも多いと思いますが、素晴らしい気付きをいただけれることもきっとありますよ。
20年程前に出版された、こども病院の患者さんたちの手記をまとめた本ですが、参考になると思います。
『電池が切れるまで 』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00JRU5BX0/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
質問者からのお礼
私の病気は本人ももちろんだけど、家族もとても大変な思いをすると言われたので申し訳ない思いでいました。今も変わらない思いです。
母は私がどんな病気かずっと調べています。
家族に対し出来ることが減っていくのが辛いです。永寛様の言葉で言葉遣いややわらかい雰囲気や感謝の言葉や態度で家族にお返しするしかないとおもいました。
ありがとうございました。
吉田様
紹介してくださった本を読見ました。涙が止まらなくなりましたが前向きに心が爽やかになりました。今は生きている間は夢を見たり目標を持ったりやってみたいことを後悔なくやりたいと思っています。
遅くなって申し訳ございませんでした。