母親を信用できなくなりました。
こんにちは。
最近、何年かの付き合いがあった友人と縁をきりました。
私の性格面と友人の性格面が真逆で、生活環境も全然違いますから、仲良くしていた分、段々と合わないところが見えてきたのでしょうし、それはもうしょうがないなと思うようにしました。
本件の問題は、そのことを自分の母親に話してみたことです。
私はよく、その友人のことを母親にも話していたので、仲良くしていたことは知っています。
「これまでこういうことがあった」「~がきっかけで疎遠になった」など、これまでの疎遠になったきっかけを話しました。
はじめは、「まあしょうがないよ」「生活環境もまったく違うから、今回のことも勉強だと思って」など、強いていえばお互い様ということで、片付きました。
しかし、色んなことを話した後に母親が、「◯◯(私)が恵まれているから」と私の考えが甘いんだと言うようなことを言ってきたり、私が車とバイクの免許を持っていることに対して「普通の人は2つも持ってない」とか(自分の貯金でとりました)、最終的には私のことを「生活感がない」と言ってきました。「◯◯(私)が甘いからこうなったんじゃないの」というように言われ、私は結果的にこの一言で、何かが冷めていくのを感じました。
ただ単純に、こういうことがあったんだと話しをしただけなのに、私は何か「あなたの考えはおかしい」と言われるように感じました。
私は、将来のこと、仕事のことなど、私は私で色々悩んで考えてることはありますが、母親にはなにも相談もしたくありません。どうせ否定するんだろうと思ってるからです。
それ以降、母親の何を信用して良いのか分かりません。はっきり言って(言い方悪いですが)殺したいくらいです。
前向きに生きたいですが、どうしたら良いか分かりません。
ちなみに、友人と疎遠になったのは、友人が後だしじゃんけんのように大事なことを後から言ってきたり、約束してたのに勝手にいつの間にかスケジュールを変えられて、1日が無駄になったり(私がその日のためにアルバイトのシフトを入れず空けてた日です)など、友人の性格が嫌になり私にはこれから先も合わないだろうと思ったからです。
お坊さんからの回答 1件
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人の振りみてわが振り直せ
こんにちは、以前もご縁ありましたね。
今回も私の感想を書きます。
初回にご質問だった親友さんとの別れに色々な背景があったのですね。また、前回の質問ではその親友さんについて色々書かれていますが、あなたから見た親友像であるので、その人物観についてはここでは触れません。
今回は、主にお母さんとのやり取りですね。
世の中には、一言が多い、或いはネガティブな物言いが習慣的になっている人が居ます。ただ、そのことを私が言うのは、その悪癖を他人事のように切り離して嘲るためにではありません。むしろ、自分にもその一面があるのではないかと内省的にみるために敢えて取り上げて言ったのです。私は、私自身にとってこの癖が無縁とは思えません。あなたはいかがですか。
人格を深めていくには、人の振りみてわが振り直せがいかにできるかだと私は思います。あなたはお母さんの良くない一面を見る一方で、自分の足元を見ることができていますか。自分は違う人格の人間になろうと、冷静に建設的に思えば宜しいのではないでしょうか。
どんな人にも長所と短所があります。身内だからこそ冷静に見れない部分もあるでしょうが、親を別人格として捉え、自分は一個の人格として独立していくいい機会になるのではないでしょうか。
ご参考までで。