なんとなく生きてはダメなのか
自分は今大学生です。
当たり前ですが、よく親などに「社会に出て生きていくなら、自信を高める事を考えないとならない」などといわれますが、人は生きていくために自らを磨き続けなければならないのでしょうか?
その日その日を惰性で生きて、どこかで事切れるような人生ではいけないのでしょうか?
殺人などの悪事を犯さなければ、どのように生きてもいいのではないのですか?
なぜ自らを高め続けるというような目標を立てなければならないのでしょうか?
勿論、親は自分に有意義な人生を送ってほしいと思い言っているのはわかります。ですが、そもそも自分は自分に生まれてきたことが嫌で嫌でしょうがなく、その時点で「有意義」は満たされないと思っているのです。
自分は頑張ることができないのに、頑張り続けなければならない事、それは疲れますし、必ずしも報われないし、そこまでして生きていかなければならない事にある種の絶望すら抱く事もあります
生まれてきて、自分が頑張って向上しなければならない、し続けなければならない、その理由があれば教えてほしいのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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親の願い(親の希望)
親としては、世間に自慢できるくらい立派な子供になってもらって安心したいでしょう。
それは、親の都合、親の願望です。
勝手な話だけど、親なんてそんなもんです。
単純に、親を喜ばせたいなら、面倒くさいけど追加オプションサービスとして立派な子供になってあげるのも、悪くはないでしょう。
仏教的には、なんでもかんでも頑張る必要はありません。
しかし、自分と他人の悩み苦しみを減らす方向、つまり心の中の慈悲と智慧を育てることに関しては、やればやるほど幸せになるから推奨します。
(イメージの修行)
親がニコニコ幸せそうに暮らす姿をイメージしてみましょう。
親が悩み苦しみから解放されて「ほっ」としている姿をイメージしてみましょう。
親が喜んで「ヤッター!」とガッツポーズしている姿をイメージしてみましょう。
悪くはないでしょう?