死にたい気持ちと戦うのに疲れた
私は小学生から社会人になるまでずっと「死にたい」という気持ちがつきまとってきました。
高校生までは、勉強に打ち込んだり遊んだりして気を紛らわせていました。酷い時でもたまに学校を休んだり、家族と話したりすることである程度落ち着いていました。
大学生になって一人暮らしを始めてから、死にたい気持ちは酷くなりました。
授業にいけなくなり、一人で家に引きこもるようになりました。
単位もまともに取れず、一年留年もしました。
大学3年の時に、不凍液を飲んで自殺を図り、20日間入院をしました。
それでも、壊れてしまった心を取り繕いながらなんとか大学を卒業し、社会人になりました。
社会人になって一年目で早速自殺未遂を図りました。1ヶ月休職もしました。次鬱になったら会社をクビになるそうです。
ようやく職場にも慣れて、仕事もある程度もらえるようになりました。
それでも死にたい気持ちは常につきまとっていて、月1,2回、突発休で休んでしまいます。
もう有給はないので、休んだ分給料が引かれます。
以上のように、死にたい気持ちとなんとか同居しながら人生を送っています。
ただ、やっぱり疲れます。疲れ過ぎて、眠れなくなってしまいます。
命が、心がなければどんだけ楽か。
仕事をするロボットになりたいです。
なので、近いうちにまた自殺しようかと思います。
ドライアイスを水を張った風呂に投げ込み、そこに飛び込めば凍傷で死ねるそうです。
死ねなければ、手足の指、あるいは腕や脚を切り落とすことになるかもしれませんが、もうそれでも構いません。
友達も少なく、年老いた父だけが心の支えです。母親は私の醜形を嫌っており、私も母を殺したいほど憎いです。
先の見えている将来に絶望しております。
もう、長々と駄文を書くのにも疲れました。
地獄なんてないと思います。
死んだら、何もかも終わりです。
さようなら
お坊さんからの回答 1件
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不条理を共に生きましょう
こんにちは、初めまして。
あなたの苦しい胸の内が私にも伝わります。本当に苦しいのですね。
でも、誰かに聞いてほしくてお書きになられたのでしょう。思うところを書きます。
「友達も少なく、年老いた父だけが心の支えです。母親は私の醜形を嫌っており、私も母を殺したいほど憎いです」とのこと。この部分に、あなたの問題の根っこを感じます。お母さんは具体的にあなたに何と言われたのかは分かりませんが、自分の容貌を身内になじられることはつらいですよね。他人ならまだしも、自分を可愛がってくれるはずの母親に言われると一層不条理に感じられるでしょう。ただ、その一方で、お父さんのことはお好きなのですね。「心の支え」があって良かったですね。このような父母を持つあなたの心中はとても複雑でしょう。
きっと、あなたはお母さんに認められず、愛されていないという感情をずっと抑圧してきたのではないでしょうか。「小学生」のころから、そして「高校生」までは、「勉強」「遊んだり」で「気を紛らわせ」、「学校を休んだり、家族と話したり」で「ある程度落ち着いて」きたのでしょう。それは、根本的な母親の愛情の問題を脇に置いて、何とか自分の内面でのみ処理しようと努力に努力を重ねてきたことが、今もうその方法自体が限界にきているのではないかと思います。
世の中には、子を愛することが出来ない親もいます。また、愛しているつもりでそれはとても手前勝手な愛し方をする人もいます。それを現実として受け入れるべき時が来ているのではないでしょうか。
私にも、不条理を不条理として飲み込まなければならない時があります。その時は、本来あるべき道理との乖離に悶々とします。何で本来とこんなに距離があるのか、ほぞを噛む時があります。しかし、いかに不条理であっても、現実から始めざるを得ないのが今を生きるという事だと思います。
子を適切に愛せない親がいる、それは不条理極まりないことです。
しかし、これを飲み込むところから人生はスタートすると私は思っています。
ご一緒に、今から生きましょう。
不条理のこの世の中を。
このご縁を大切に思いつつ、これからのご縁をも願って。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
眠って起きたら少し落ち着きました。
家族とは住む場所が離れているので、
丁度いい距離の取り方はできていると
思います。
精神的に不安定になって、
死にたいと思ってしまうことも
自分にとっての不条理なことだと思います。
「不条理」とどう付き合っていくかについては、文学や哲学で様々に言及されているみたいなので、余裕のある時に本を読んだりして考えたいと思います。