hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教のことを知りたいです

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

先日相談させてもらい、私は相変わらずどこにこんな涙があるのかというくらい毎日激しく泣いてしまいますが、その度にいただいた回答をふと読み返してみては慰められているのです。

そして、疑問に思ったのですが、仏教では、魂は残るというのは当たり前の考え方なのですか?私はそれを聞いた時にそう考えていいんだと思ったらとても嬉しかったのです。魂は見守ってくれているなんて、仏教っていいものだなと。

また、供養って言うけれど、どんなことなのと思いました。よく使う言葉ですが、当たり前に受け取って、しっかり考えたことがなかったです。話しかけることが供養だと聞いたこともあり、夫にも、昔お別れした猫にもよく語りかけていますが、今日、手を合わせて想っていたら心が安らぐ気がしました。気付いたらあまり手を合わせたことがなかったです。自分の知らない供養の仕方ってあるのではないかなと思い質問しました。回答をいただけるととても慰めになります。ぜひ教えてください。よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き人と出あい直す

ご相談拝読しました。

大切な方のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。南無阿弥陀仏

魂という言葉に何か響きを感じたのですね。

仏教では、何かそのものの本体となるような実体的で永久不滅のものとしての「魂」の存在は否定されます。全ての存在は数かぞえきれないご縁(条件・環境)によって相互依存的に成り立ち存在していると考えるのが仏教です。

前の回答でお坊さんが「魂(いのち)」と表現されたのは何を伝えたかったのか、一緒にゆっくり考えていきましょうね。

供養はもともとの言葉は「(仏様や僧侶などに)供物を捧げる」というような意味です。日本では「追善供養」の意味合いで用いられることが多いですね。法事などがこれにあたります。法事=善行為として、その善行為の功徳を亡き人に捧げる(これを回向と呼ぶ)のですね。

でも仏教の中でも浄土真宗ではこう考えません。

追善供養=亡き人を追善供養してあげなきゃいけない対象=苦しみの世界を迷う人

ということになるからです。さらには善行為も回向も純粋な心でないと成り立たないものですが、人間に純粋ということは成り立たないという厳しい立場にたつのが浄土真宗です。

浄土真宗の供養は讃嘆供養です。この供養では

亡き人=その命の終わりをとおしてわたしに大事なことを教えてくれた人・仏法と出遇う機会を設けてれた人=私にとっての仏様

と亡き人を見出し出遇い直していく。その時、亡き人は迷う存在であるどころか、私を導き、寄り添いしてくれる仏様であったといただくのですね。

悲しの深さが関係の深さです。その悲しみや不安がじつは仏様としての亡き人からの促しなのです。
もう姿形をもっては出会えなくとも、姿形を超えた促し・はたらきとなって出遇い続けるのです。
そのことを「魂(いのち)」とも表現できるかもしれません。

もう声は聞けなくとも、声なき声を響きとして促しから聞く。温もりには触れることはできなくとも、はたらきから亡き人の願いに出遇うときに温もりを感ずる。

それが亡き人と出遇うということです。

霊魂として一緒にいるとか、超常現象的に現れたりしてくれるとかではなく、あなたの心・存在にはたらきかける仏様として見出されるのです。

これをご縁として仏様の教えを学びませんか?それが「供養(仏法を)供に養うこと」にもなると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

涙の泉は尽きませんね。

思っ切りないてください。
泣いて、泣いて、泣いて、
泣いて、泣いて、泣いて、
泣きはらした後に、
見える世界があります。

あなたにとっては、
今までに経験したこと世界が、
見えてきます。

目をつぶって、
ご主人を思い出してください。
笑っていらっしゃいませんか?
もう大丈夫だから。
涙を拭いて笑顔を
見せてね!
っておっしゃっていませんか?
愚僧には、
強くそう感じました。
神仏から心配される目当ては、
ご主人さまではなく、
あたななんじゃないですか。
愚僧はそう思いました。

人、というより魂は、
生まれ変わり死に変わり、
して、輪廻転生していきます。
さて、次はどこの世界へ、
生まれ変えするのか、
愚僧は 
阿弥陀さまをしんじているので
極楽浄土に行くことに、
なっています。
だからあんまり心配してません。
ですからこうして、
お粗末な坊主ですが、
まあ阿弥陀さまの手足になって、
ない智恵を絞り
ご相談に
乗らせていただいています。

さて、供養とは、
おもてなしの心だと思います。
相手が望むことをする。
これが何よりの供養かと。
あなたは涙を拭いて、
ご主人の分まで、
生き抜くこと。
笑顔で楽しく、
充実した人生を、
生き抜いた時に、
ご主人さまが、
きっと笑顔で、
頑張ったね!とお迎えに、
来てくれます。
そして極楽浄土に、
連れて行ってくれますよ。

どうかご主人さまを
安心させてくださいな。

お寂しいと思います。
ネコちゃんでも、
お飼いになったらどうでしょう?
ご主人さまも、
同じことをおっしゃるかと。

有難う!
有難う!
有難うございます!
とご主人さまに、
感謝の気持ちを
言葉にしてください。

これこそが御供養ですよ。

お幸せを祈っていますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

沢山の時間をとって回答していただいてありがとうございました。
仏様の教えを知りたいという気持ちが湧いてくるのですが、悲しみにくれて自分のことばかりの今の私には吸収する力もないのかなと感じます。助かりたいのに受け入れる心がないような。
仏教って難しいですね。ゆっくり考えましょうという言葉に甘えさせていただきます。よくわからない世界に入り込んだ私には仏教も現実的で、まだ自分は入っていけない感じがします。無知な私に丁寧に教えていただいてありがとうございました。

夫は笑顔を見せてねと言っていると思います。申し訳なく思って、さぞ幸せを願っているだろうなと。そんな人と出会えたことは幸せなのに分からず屋の私です。状況を、受け入れることもまだ出来ていないです。優しい言葉をありがとうございました。

少しずつ、理解できる自分になりたいですし、一歩背中を押していただけたと思っています。ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ