中身に自信がないので真っ当な恋愛ができません。
はじめまして。恋愛に関して悩んでます。
まず私自身が思ってる真っ当な恋愛というのはお互い相手の性格が好きで付き合う、というものと考えていてこのような恋愛ができたら幸せだなと思っています。
私は男の人の外見とか全然気にしないです。さすがに清潔感がない人はいやですが…。面白くてたくさん笑わせてくれる人が好きです。
ここからが本題なのですが私は自分の性格が本当に最悪なものだと思っています。かなり歪んでしまっていると思います。
タイトルに中身に自信がない、と書きましたがつまり、正直外見には自信があります。
そしてその歪んだ性格を隠して振る舞うので好きな人と両思いになれることは多いのです。
でもその人が好きなのは偽りの性格の私で、(または顔だけ)そのまま付き合っても疲れてしまうだけで、ここ数年では両思いでもお断りしてしまいます。
馬鹿なことしてると思われるかもしれませんが…。素の感じで振る舞ったら女の子ですら寄り付かないし(中高生のときの経験です。)私が男だった自分みたいな女と付き合いたいと思えません。
このままでは結婚はできないかもしれないと焦り始めました。顔はどうでもいいから性格が愛されるような女性に成長したかったです。
ゴミのような性格になってしまった原因は割愛しますが、簡潔に言うと親の虐待です。
根本的に歪んでいるし人間の思考というのはなかなか変えられないというので、もう性格に関してはどうしようもないと身内に言われます。
こんな人間に恋愛は無理でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を認めてあげて下さい
失礼します
心の問題はとてもデリケートなのでまず気に触るようでしたらお許しください。
素の自分と演じている自分、本心と建前…
どちらかが本物でもう片方が偽物という様に捉えていると推測しますが、諸般の都合で後付で作り出した自分も紛れもなくご自身の本当の自分の側面ではないのかな思います。
特にご自身で自分の本質は最悪とと仰っていますが、そもそも最悪な人間はその様なことを気にしないが故の最悪です。
演じているのはとても疲れます(素の私もだいぶ酷いですが頑張ってます)が、演じているのが理想とする自分だとしたら、その理想の自分は演じられるくらい既に近くにいる訳です。
仮に理想とする自分が今の演じている自分と違っていても演じている自分のいいところを盗んでしまえばいいんです
千里の道も一歩から
本質は変えられないかもしれません、しかし質問者様は客観的に自分の問題点を見れる方です。ので、周りの『それが貴女の性格なんだから』と言った言葉に耳を貸さず、一歩ずつ最悪だと思う箇所を治し自分のダメなところを認めてあげる事、そして自分を好きになっていければまだまだ恋愛は十分に間に合うかと思いますよ!
変わり続けてゆく私たちでありますよ。
ゆんさま、はじめまして。私はいっしょうと申します。ゆんさまのお声、受けとめました。
恋愛をするにあたって、お相手にご自分の性格を明らかにできずに悩んでおられる。そして、その性格は、ゆんさまのお言葉をそのままお借りしますと、最悪なもの、歪んでいる、ゴミのような性格であるとのこと、こんな人間に恋愛は無理でしょうか?とのお悩み、一緒に大切に考えさせていただきます。
「人間の思考というのはなかなか変えられない」という点に関しまして、私はうなずけるところと、そうでないところがあります。これは、「私の思い通りには変えられないが、縁によって変わり続けるものである。」と考えるからです。
ゆんさまは、虐待によって性格が変わられた。また、素の振る舞いによって傷ついた中高生時代があって性格が変わられた。他にも幾多の縁があってその度にゆんさまの性格は変わられたのではと推察いたします。私の性格も小、中、高、大、今、一貫していません。さまざまな苦しい縁や喜ばしい縁に出遇うことで変わり続けております。どうやら私たちは、否応なく結ばれ続ける縁を前にしますと、ずーっと同じ性格でいることは不可能なようです。だからこそ、ゆんさまの性格におかれましても「性格はもう変わらないから…」と悩まないでも良いようです。変わらないつもりでも変わっています。
ゆんさまが厳しく自己を省みる眼差しはとても尊いものがあります。私たちは皆それぞれに愚かな心を内に秘めておりますが、その心に目を向けることをいたしません。見たくない自分ですからね。それを棚上げして、あたかも善人のように振る舞っている。これが世の大半の人でしょう。そのような中で、ゆんさまのようにご自分のことを真剣に省みておられる方は幾人おりますでしょうか。その眼差しがあるからこそ、至らぬ私を支えてくれるおかげさまに心から手が合わさるようになると思うのです。大事にしたいお心です。
しかしながら、厳しい眼差しと偏見は違います。「自分はこういうもの。これは偽りの自分」などと決めつけることを偏見と申し、これは苦しみの種ともなります。縁によって、変わり続けていく自分を省みて受けとめ続けていくことが大事なのでしょう。
最後にゆんさまに恋愛が無理なのでしたら、他のどなたなら恋愛がOKになるのでしょうか。これが私の答えです。またいつでもご相談にいらしてくださいね。
10代で諦めるのは、もったいない。
ゆん様
質問拝見させていただきました。
解決して差し上げることはできませんが、参考までの回答をさせていただきます。
根深い問題ですね。ご自身で、原因もなんとなく察していらっしゃるようですが、方便として、一端それを否定されてみてはいかがでしょうか、自分自身で決めつけてしまうと、未来の足かせになるやもしれません。勿論、ゆん様が仰る通り、過去から現在までの過程は一つも変えれることはできませんし、ありません。
過去を受け入れつつ、未来の成長には邪魔をさせない、10代という年齢的なこともあり、自分次第で理想の自分に近づいていく可能性を諦めるには早いと思います。
外見に自信が持てるように、内面も磨いていけばいい。(それが難しいから質問されているのだが。)
ただ、一つだけ気をつけて欲しいのは「誰にでも愛される」ことを目的としないことです。
ゆん様の内面を、「赦し」「大切に思ってくれる人」と巡り会えた時、恋愛、結婚とステップを踏んでいかれてはいかがでしょうか。
「善因善果、悪因悪果。」
善い結果は、善き縁によって導かれます。
すぐに善い縁に出会えるかはわかりませんが、なるべく、善い人たちが周りにいる環境にポジションを置くことをお勧めします。周りに善い人が居れば、何もせずともそういう人たちに触れて学び、ご自身も善い方向に導かれていく可能性があります。
ゆん様の努力は大変なことだけれども、努力が実って、善い縁に恵まれますよう心よりお祈り致します。 合掌