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一年前から続く不幸

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有り難し有り難し 14

転職した会社が超ブラック企業で、定時1時間前出勤、夜9時迄のサービス残業、週3回の終電までの飲み会、パワハラ、セクハラにより、2年間お付き合いしてした彼とのコミュニケーションが疎かになり、一年前にフラれてしまいました。
同棲2年弱、将来も考えていたのでとても落ち込み仕事も退職しました。
その後、精神科にかかり軽度の発達障害が発覚し、鬱病、パニック障害だと診断を受けました。
長年親友だと思っていた人が2人居たのですが、それぞれ別のコミュニティにも関わらず、裏切られすっぱり縁が切れてしまいました。
人生で初めてネットの掲示板でも叩かれたりと、色々なショックが積み重なり安定剤をオーバードーズしてしまい、3日間全く記憶がなく、気が付けば車で事故に遭っていました。
幼馴染みの結婚式の2次会の幹事を任されましたが、3日前に新郎側の幹事が飛び、3日間徹夜で準備をする羽目になりました。
それが先月のことですが、この一年間不幸が続き過ぎて人と関わるのが怖くなり連絡も返さず、外に出るのも億劫でここ1ヶ月は家に引き篭もっています。

本当にこの一年よく生きていたなと思うくらい毎日死にたいと泣いていたし、今も生きる意味がわかりません。
この一年出雲や伊勢、色々な名のあるお寺や神社にお参りしましたが、その御加護?はまだ実感がありませんが、この不幸はいつまで続くのでしょうか。
一年前にフラれた彼のことがまだ好きなのですが、もうご縁は無いのでしょうか。
一年間色々なストレスで記憶が曖昧で、大まかにしか覚えていません。
今年で28になり、無職の引きこもりで人生真っ暗闇です。

纏まりのない内容で申し訳ございません。
アドバイス頂けるとありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

物事には原因がある

ご相談拝読しました。この一年本当に大変でしたね。よく頑張りましたね。

発達障害、鬱病、パニック障害の診断もとてもショックであったことと思います。それまでの自分が失われてしまうような不安や混乱もあったのではないでしょうか。

それだけでなく色々なことが重なり、今は引きこもってしまっているとのことですが、それも自分の身心を守るために当然の反応なのかもしれません。

診断を受け手ての治療内容についてはお医者様の話を聞いてゆっくり取り組んでいきましょうね。

さて、名だたるお寺や神社にお参りしたのにご加護が感じられないとのことですが、それはおそらくあなたが求める利益と神仏の願う利益にずれがあるからだと思います。
神様については神道なので私にはわかりませんが、すくなくとも仏教においては仏様はなにか良い事・ラッキーな事をもたらしてくれて、不幸なことを遠ざけてくれるような利益をもたらす存在ではありません。

仏教とは物事には原因があって結果が生じるという法則を正しい眼で見て向き合わせようという教えです。祈れば願いが叶うというのは因果関係が結ばれないでしょう?
何かが生じるためにはそれが生じるための原因が必要なのですから。

つまり、あなたに生じた様々な出来事にも原因があるという事です。もちろんあなただけに原因があるわけではありません。一つの物事には目に見えない数えきれない因果関係がはたらいているのですから。

しかしどうでしょう。あなたがフラれたことや、親友と縁が切れた事、あるいは掲示板で叩かれた事と、あなた自身の行いは全くの無関係でしょうか?

それが見えなければ、自分に起きた悪い出来事の原因を自分の外側の物事ばかりに求めることになります。そうして行きつく先は「なんで私だけがこんな目に…」という思いでしょう。

何かのせいにする人生は何かに振り回され続ける人生です。そこには自分と言うものが失われていきます。
たとえ辛くとも苦しくとも、自分の行いや在り方に目が向く人生は、それでもそこに自分がいるということ自体への満足があるのではないでしょうか。

せっかく時間がある今、じっくりと見つめ直してみましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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