子どもに手を上げてしまいました。
1歳になったばかりの息子に対して、自分の感情がうまくコントロールできない時があります。
離乳食が気に入らずに器をひっくり返したり、食べ物を床にわざと落とされたりしたときに、時折カーッとなってしまって、机を叩いて大きい音を出したり、息子のことを叩いたりしてしまいます。
1歳の子に手を上げるなど、ただの虐待でしかないと思います。
子どもが泣くのには必ず理由があると思いますし、普段なら「何が気にくわないのかなー?」「味付けを変えてみようかなー?」等と息子が求めているものを分析する余裕があるのですが、精神的にイライラしている日はカーッとなってしまうのです。
今はとっさに手加減をするので、怪我をさせていませんが、いつか取り返しのつかない事になるのではと不安になります。
感情的に叩いてしまうと、どんなに手加減しても息子は大泣きします。
きっと叩かれた所が痛いのではなく、心が痛かったのではないかと思います。
それなのに、私のことを大好きでいてくれる息子をみると、申し訳ない気持ちと、自分はなんでダメな人間なんだろうという気持ちでいっぱいになります。
私は両親から気に入らない事があると叩かれて育ちました。手が出てしまうのはそのせいもあるのでしょうか。
どうやったらカーッとならずに、感情をコントロールできるでしょうか?
もう、息子に手を上げたくありません。
息子の心を傷つけたくありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんもまだまだ1年生
おはようございます
タイトルにあります様にお母さんといった肩書に引っ張られているのかなと思います。今まで自分は守ってもらう立場で自立する立場だったのが、いきなり何が何でも守らないといけない存在が出てくるのですから今までのように過ごせないのは当たり前です。子育ては子供を育てるのではなく、夫婦子供含めて、家族の成長かなと思います。
さて、躾でございますが、カーっとなるとどうしても手を出してしまうという事ですが、出した後にちゃんとお子さんに謝ってますか?
手をあげないことがベストですがそれが出来たら苦労しないという訳で、次善の策としてちゃんと言葉がわからないとしても謝ってみましょう
昨今では児童の虐待が目立ちます。子供の自己を認めない、一人の人間として見ていないことが原因でもあるかなと
質問者さんは五里霧中、手探りで今精一杯頑張っています。
お母さんは苦しんではダメ、失敗したらダメ、『母親』という言葉のイメージに踊らされることなく質問者さんもこれから一緒に成長するんだと思い、子供に接してあげてくださいませ
問題にしない生き方がある
すももこさま
叩くということは躾ではなく、あなたの感情困り八つ当たりしているだけです。そこに、教育的な意味はありません。
子供を育てるということは、簡単なことではありません。しかし、そこで悩んでいられる親御さんはたくさんいらっしゃいます。
多くの親御さんは、自分の思った通りに子供が動かないことに腹を立てます。
子供は思った通りには動かなくて当たり前です。
世間の目が気になる方も多くいます。これは、あなた自身の頭の中で作り上げた妄想です。「ねばならない」「こうあるべき」という思考をあなたは持って子供を見ていませんか。
それは全てあなたの「我見」です。
子供が食べ物をこぼした。事実はただそれだけ。それなのに、その直後に我が出てきて、それを問題にする。汚いとか、洗濯するとき落ちにくいだの、損得や善悪を付け加え判断する。
子供の声があっても、ただそこに声があるだけ。問題にはなりません。
問題はあなたの頭の中で全て作り上げられているということにすぎません。ですから、あなたが事実を事実のまんまで受け取り、我見を用いて物事を見なければ、手を挙げることなく、安心して子育てができます。
楽になりましょう。手放しましょう。それはそれでいい。子供が泣いても、散らかしても、多少騒いでも、問題はそこにはないのですから。
質問者からのお礼
武田様
ご回答ありがとうございます。
手をあげてしまった後、謝っていませんでした。確かに言葉が分からないからといって、やりっぱなしは良くないですね。
子供も一人の人として意思があるものだと言うことをしっかり心に刻んで、一緒に成長していきたいと思います。
邦元様
ご回答ありがとうございます。
「我見」という言葉を初めて知りました。
おっしゃる通り、食べ物を床にこぼされても「ただそれだけ」ですね。掃除しなきゃ。食べ物が勿体無い。せっかく作ったのに無駄になった。等は全て私が後から付け加えた事だと気付きました。
少し落ち着いて、事実を事実のままに受け止められるようになりたいと思います。