過ちを誤魔化すための嘘
自分にはある「過ち」があります。
その過ちを知られたくないと嘘を繰り返してきました。
自分のついた嘘が苦しくて、夢に魘されます。何度も死にたくなっています。
「過ち」は非常に恥ずかしいことで、情けないことです。
そして私はその過ちの前科を持ってることを隠して、友人を作り、就職しました。
その過ちを知っていれば友人は友人にならないだろうし、会社は入社させなかったはずです。つまり私のしたことは詐欺行為です。
「過ち」からは約20年が経ちます。
もはや、過ちの真実がバレること自体は怖くはありません。
でもそれを隠すために嘘をついた過去がバレるのが怖くて、本当のことが言えません。
私はずっと友人や知人を欺いていたことになります。
そして、新しく会う人にもこの事実(嘘をつき、人を騙した自分のこと)を話さないと、それも裏切りのような気がします。だから、新しく友人を作る資格はないです。
ずっと孤独のまま死ぬのでしょうか。
自業自得だけど、それなら早く死にたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それは嘘なのか
ご相談拝読しました。お辛いですね。ずっと一人で抱えているのですね。
本当のことを伝えないと誰かと関係を作ってはいけないようなもどかしさがあるのですね。
そして本当のことを伝えないと相手は本当の自分ではない人と関係している…まるで自分が自分でないような違和感があるのですね。
でもどうでしょう。「隠す」ということと「言わない」ということは違うのではいかと思います。「言わない」自由もあなたにはあるのです。
その中でどうしてもこの人には「言いたい」というご縁に恵まれたならば勇気を出して伝えてみるのもあなたの自由です。
もちろん相手にはその内容をどう受け取めるかの自由があります。だからあなたが望む受け止め方と違うものになるかもしれません。
それでもあなたがあなたでいるためにそれが必要な試練ならば、その試練との向き合い方はあなた次第です。
人は弱い生き物で縁(条件や環境)にふり回されます。その時々の縁で関係が結ばれることも離れることもあるでしょう。
でも仏様と仏様の教えだけはあなたがどんなあなたであろうと、それを理由にあなたを除け者なんかにしません。
あなたが恥じるあなたの何かをなかったことにするのでなく、それも大事なあなたの課題だと受け止めさせてくれるのが仏教です。
仏教に支えられ続けるからこそ、苦しい現実に立ち向かい引き受ける勇気をもらえるのかもしれません。
あなたはあなたなりの方法でやってみたらいいですが、もしも自分の力だけでは無理だと感じたならば是非仏教にあなたという存在を学んでみましょう。