罪を犯してしまいました
わたしは夫と出会う前、出会いを求めてあるサイトから話の合った人と会いました。
彼の言動からなんとなくなのですが思うところがあり、既婚者か聞くとそうだと言われました。
なぜ既婚者の方が‥体目的で不倫になってしまうと頭では分かりながら「つき合ってほしい」と言われた際、当時交際相手が欲しいという身勝手で甘い考えから軽い気持ちでつき合いだし、体の関係にまで至りました。
不倫中も「不倫はダメだ、はやくやめなければ‥」と思うくせに、やめれずずるずると関係を続けてしまいました。それは夫と出会い、交際している最中も続きました。
半年後、夫からプロポーズを受け、幸せだと思う気持ちと自分はなにをやっているんだという罪悪感に苦しみました。
その後彼との交際を断とうと思いつつ、別れる際の彼との言い争いやトラブルを避けたい‥と自分からの連絡の一切をやめました。
しかし、彼から入る何度も「会いたい」の連絡。それは私が結婚し、すぐ海外出張する夫について行く時まで続き‥そのまま関係を断とうと思っていたのに、渡航する直前会ってしまいました。
その後、海外で夫と2人暮らし‥連絡手段であるLINEのブロック、アカウントを削除し、彼との連絡を断ちました。
私は自分の欲から罪を犯し、人を自分を傷つけました。夫は私に誠実に接してくれ、支えとなってくれます。私も夫に対し誠実で支える存在でありたいと思います。‥しかし、不倫相手との関係を終わらせたとは言え、その事実は今後ずっと自分が犯した罪の意識として残ります。
なんて身勝手で不誠実で愚かなことをしたんだろうと後悔‥思いかえす度に涙が出ます。苦しいです。
私はもう2度と同じ過ちは犯さないと心に誓いました。これからは誠実に生きていきたいです。
今からでも遅くはないでしょうか?
誰にも打ち明けることができず、苦しい時にこちらのサイトに行きつきました。
稚拙な文章で申し訳ないのですが、お坊さまからのご助言をいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
転ずる
ご相談拝読しました。
お一人で抱えてこられて辛かったことでしょう。今からで遅いということはありません。人は大事なことに気がついたその瞬間からまた立ち上がっていけるのです。
それはけして過去をなかったことにするのではありません。過去も含めて、ほかでもない今・この自分の事実を引き受けて生きていく勇気をもつということです。
hasunohaでは「罪」の自覚により苦しむ方のご相談はたくさんあります。
その時に人は、どうしたら罪をなくせるのか、どのような罰を受けたら許されるのか、と考えます。
しかし本当に罪から救われるとはどういうことなのか。浄土真宗の宗祖親鸞聖人は
「過去・今生・未来の一切の罪を転ず。転ずというは、善とかえなすをいうなり。」
という言葉でおさえられます。そこに注意書きをして「つみを、けしうしなわずして、善になすなり。よろずのみず大海にいりぬれば、すなわちうしおとなるがごとし。」と補足されます。
「罪を消し失わずして善となす」これが「転ずる」ということなのでしょう。
大きな川も小さな川も、汚い川もきれいな川も、流れの早い川も遅い川も、どんな川でも海に入れば転ぜられて一味となるように、人のどんな生き様も死に様も転ぜられて一つとなるという大きな地平に目覚める。
これが宗教的な救いです。
罪がなかったことになるのでもなく、罪に対する考え方をどうにしかして無理やり前を向くのでもない。事実を事実として引き受けるところに自らが転ぜられていく。
不倫をする人も、純愛を貫く人も、パートナーと巡り合えない人も、離婚する人も、どれが良いとか悪いとか、正しいとか間違いとかでなく、その時そうせざるを得ない縁の中にあったという事実。開き直りでも、ものの考えようでもない。
そういう大きな事実、真実と呼べるものに出遇うことで自分の有り様を受け止めさせていただける。
こうして思い立ち懴悔されたことを機会に、あなたも真実と呼べるものとの出遇いを求めてみませんか?
質問者からのお礼
有難いお言葉を、本当にありがとうございます。
・立ち上がる。それは過去をなかったことにするのではなく、過去も含めて、ほかでもない今、この自分の事実を引き受けて生きていく勇気をもつ
・事実を事実として引き受けるところに自らが転ぜられていく。「転ずる」は「罪を消し失わずして善をなす」こと
私はこの事実から自分の有り様を受け止めさせていただけたのですね。
仏様からの教え、お坊さまからのお言葉が内側にしみわたるように感じます。
自分のまいた種から起こるべくして起こった事実からご縁あってこちらのサイトに出遇ったような気がします。仏様の教えを少しでも知りたいです。