生きることが辛いです。
初めまして。
僕は中学生です。
両親の中は最悪と言っていいほどで、僕が10歳の時に離婚しました。
離婚はしたものの、僕のことを思ってか今も同居はしていますが、先程言った通り毎日喧嘩しています。
内容はいつもお金のことで、借金の話をしています。親にお金のことを聞いてもいつも誤魔化されます。
その喧嘩を聞くのがとても怖いし、辛いです。
そんな僕の話をいつも真剣に聞いてくれて、気にかけてくれていた、僕の唯一の心のよりどころだった担任の先生が先日亡くなりました。
自分の中ではもう死んでしまったんだと受け入れてるつもりでも、その先生のことを思い出す度に「もしかしたら」なんてことを考えてしまう僕自身がとても嫌です。
僕はこのまま1人で全て抱え込んで行かなければならないことや、先生と同じように僕の大切な人が亡くなることがこの先もあると考えると、
とても辛くて怖くて悲しくてどうしようもなくなって生きることが嫌になります。
誰に僕の心を預ければいいのかもう分からないです。
僕はどうすれば生きたいと思えるようになるのでしょうか
誰に心を預ければいいのでしょうか
どうすれば先生の死を受け入れられるのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみを人生の深まりへ
はじめまして、こんにちは。
ご両親のケンカに苛まれる日々は辛いでしょう。
本当なら仲良く笑い合いたいですよね。
学校から帰ったら、ほっとしたいですよね。
今、居場所がない、そんな思いでしょう。
自分のことを気にかけてくれる先生と出会えてよかったですね。
人は世の中にたくさんいますが、本当に縁の有る人は少ないものです。
「誰に僕の心を預ければいいのかもう分からない」、とのこと。今までは、親に心を預けた(ようとした)、次に先生に預けた、この次が見つからないという状況だろうと思います。
諸行無常、という言葉は平家物語で習ったでしょうか。それは人の命も、心も、風景もすべて変わっていくということです。変わらないものはない、その現実にあなたは途方に暮れているのでしょう。
ただ、この諸行無常の語は、反面変わり続ける物事の一瞬のきらめき、その貴重さを知らせてくれる言葉でもあります。あなたと先生との出会いは、まさにその貴重な一瞬だったのです。この事実をこれからもどうぞ大切にしていって下さい。先生の言葉、気持ち、教えられたことなどを。亡き先生もきっと、あなたのそんな姿を喜んでくれるでしょう。
変わり続けるものに人生の基礎を置くと、ともすれば足元が揺さぶられてします可能性が常にある。この人間の根本問題に目を向けているのが仏教です。この解決のため、揺らぎのない心を求めるという方向性の仏教もあり、揺らがない仏様をたよりにするという仏教(私は浄土真宗なのでここに該当します)もあります。
また、仏教に限らず、哲学の分野などを探索してみるのもいいかもしれません。
いずれにせよ、あなたの悲しみが人生を深める方向へ、そして安心できる方向へ向かってくれることを思ってこの文章を書きました。また、質問したいことがあったら、このハスノハも頼ってください。
応援しています。