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子供の頃の失敗をいまだに引きずり辛い

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はじめまして。子供の頃の失敗をいまだに思い出して胸が締め付けられそうになります。
私は小学2年生の終わりに引っ越すことになりました。当時、転校する子はクラスの子に文房具などをプレゼントするのが流行っていました。私もやりたいと思い、確か消ゴムか鉛筆をクラス全員分用意し配ることにしました。しかし、配っている途中で、1つ足りない事に気がつきました。どうしよう、どうしようと焦り、大人になった今だったら担任の先生に正直に話し相談すると思いますが、その時はその場を上手くやり過ごそうと思ってしまい、クラスに目が見えない子がいたので、「その子には別の物を用意してるから、今は渡さないんだ」と先生に嘘をつき、先生もその子も不思議そうに見てましたが、その場は何とかなりました。意地悪というか、咄嗟にやってしまった感じでした。今となっては信じられません。
その子とはそんなに仲良い間柄ではなかったのですが、帰りに家まで送る役目はしょっちゅうしてた記憶があります。
帰り道に、引っ越し先から何か送るから、何がいい?と聞いたら、その子が金柑が欲しいと言っていた記憶があります。
しかし、子供だったので親に言えなかったのか、忘れてしまったのか、わすれましたがそのままになって金柑は送らずに今に至ります。
その事をすっかり忘れていましたが、高校生くらいのときに急に思い出して、それから度々思い出しては本当に悪いことをしてしまったと後悔して、苦しいです。
大人になってから当時通っていた小学校に電話してその子のことを聞こうとしましたが、個人情報だと断られ、正直名前も覚えておらず、家も覚えてないし、今もそこに住んでいないと思うし、謝ることも出来ません。
でも、視覚障害のある方を差別するような事をしてしまい、傷つけてしまった、今も恨んでいるのではないか?とか後悔しています。
30年も前の事をくよくよ悩む自分にも腹立ちます。
いい加減忘れよう、子供だったんだから仕方ないよと思うのですが、心が晴れません。度々思い出しては動悸がしてくるしいです。謝ってすっきりできたらいいのですが、それもできません。どうしたら良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからどう生きていくかを問うて

こんにちは、初めまして。

過去の行いにお悩みですね。直接謝ろうとして問い合わせまでされた、あなたの誠実で真面目なお人柄を思います。もし謝罪が面と向かって出来たならばストレートに解決するかもしれませんが、それが出来ないというところで一段と辛いのだと思います。

あなたのお悩みは、二つの要点があると思います。

・「意地悪というか、咄嗟にやってしまった」といわれていますが、自分のミスを覆い隠すために「その場を上手くやり過ごそう」といわば嘘をついてしまったことが第一です。この「上手くやり過ごそう」ということが、後日別のものを上げるという形でフォローできてたら、一つ足りないということに機転を効かしたとも言えましょう。しかし、実際それを行わなかったのですから、それはミスを隠すための嘘になってしまった。

・「視覚障害のある方を差別するような事をしてしまい、傷つけてしまった、今も恨んでいるのではないか?」という点が二点目です。「差別をしてしまった」という意識があったのでしょう。その自分の心持についても問題に感じているのでしょう。先方が今覚えているか、恨んでいるかは分からないのでこれについて問うのは一先ず止めておくのがいいと思います。

あなたは嘘をつき、かつ差別するような心を持っていた、これについて悩んでいるのでしょう。ただ、このような問題は過去だけで、現在は問題ではないのでしょうか。私は、仏教的な観点から他人事とは思えません。

親鸞聖人の言われるように、人間の心は蛇が出るか、サソリがでるか分かりません。嘘はつきたくない、差別はしたくない、そうあるべきです。しかし、現実、人間とは思ってはならないことを思い、口にしてはならないことを口して、行ってはならないことを行うものです。これら良くも悪くも人間の行為を総称して業(ごう)と言います。

過去の行いの事実を無かったことには出来ません。
また、謝罪して心がすっきりすれば良いというだけの問題でもないと思います。

今、為しうるのは、過去のことを踏まえて、自分の業を見つめつつ、今後どのような行いをしていくべきかを問うことでしょう。業には、仏様・さとりの方向性を持つ善業と、その反対の迷いの方向性を持つ悪業があります。宗派によって、どのような業を重ねていくかは違うので、これを機会にご自身の宗旨の学びを深めることをお勧めします。

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有り難し
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

ありがたいお言葉ありがとうございました。
過去の後ろめたい出来事だったので、人にあまり言えず、親や主人には話したことがありますが、文章にして人に聞いてもらったことは初めてです。
1人でモヤモヤ考えるより少し気持ちの整理が出来たような気がします。
相手に申し訳ない気持ちは晴れませんが、過去に戻ることも今会うことも出来ないので、「今後どのような行いをしていくべきか問うこと」と言われたことを胸に、生きて行こうと思います。
迷ったときは、お坊さんに答えて貰った文章を何度も読んで、考えてみます。
これからは人を差別せず、人に優しく、失敗した時は正直に打ち明けることが出来る人間になりたいです。
ありがとうございました。

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