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結婚・新婚ってなんですか?

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去年籍を入れ11月から新生活をしています。
私はメンタルを崩して適応障害になり心療内科に10年近く通院しています。

適応障害も完治間近だったのですが、新生活と共に体調を崩し、適応障害と軽ウツになりました。

旦那の事を好きなのか分からなくなりました。
元々好きという感情はなく、結婚の決めては優しい人だったからです。

でも実際、生活をしていて優しいというか優柔不断という事も分かりました。2年付き合い多々のケンカもありました。婚約破棄も考えた事もあります。

なぜか旦那を生理的に受け付けず、寝室別々です。生活を初めて気にならなかったニオイも無理になりました。
離婚の話も何度か出ました。離婚しなかったのはもう少し頑張ってみようという気持ちもあります。

新婚っていいねって周りからは言われますが、新婚・結婚とは一体なんなんでしょうか?

分からなくなりました。。。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

独創 夢想ワールドをでて まず薬を減らすことから

まず、それよりも自分を病気と「 」 (ワク)に納めるのをやめましょう。
あなたは「  」こうだ、と思うとそのワクにおさまろうとする気持ちが強いと思います。
そこが安全だからです。
それが自分の作った世界だからです。
それが自分の思った世界だからです。
自分の思った世界というのは、どこまでいっても自分を中心にしてものの見方なんです。
それは、残念ながらあなただけの独創、夢想。
独創ワールド、夢想ワールドは、アナタだけの世界でしかありませんから、本当はこの世には存在しません。この人、イイ人かもな?と思ったのも独創、夢想ワールド。
結婚すりゃなんとかなるかなと思ったのも独創、夢想ワールド。
そこを強く持つと、薬依存からも脱却できません。
「アタシがこう思った」ことを優先順位に挙げていませんか?
「アタシがこう思ったから、これが正しいはずなのに」を先に立てているから、事実がそうでない時に苦しいのです。この世の真実は、
✖「アタシがこう思ったから、こうであるべき」ではなく、
◎「アタシがそう思う前に、この事が先にある」なのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

一般論を問うてもね。

「結婚・新婚って何ですか?」これ、英語にするとWhat is marriage? what is newlywed?でしょうか。「新婚」って、「最近結婚した…そのまんま!」な言葉です。
 さて、「結婚・新婚とは何か?」その定義を聞きたいのではありませんよね?
 以下、勝手な推測です。
周りの方が抱く「結婚・新婚」のイメージと、あなたの生活している実像や実感がズレている。それに直面するのが…面倒くさい?
 であるならば、問題は具体的です。解決方法も具体的。「うん、私好きで一緒になったのではないから。優しい人だからの一点で一緒になったんだから」と、正直に言ったらどうですか?「好きな人同士が結婚する」のではなく、「お互い同意した人同士が結婚する」のですからね。
 そもそも、好きとかいう感情はもの凄く移ろいやすいもの。結婚式で「誓います!大好き〜!」とか言っていた人が、その口で夫婦げんかなんて、日常茶飯事ですよ。憲法にも書いてあるでしょう、「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。(12条)」感情がフラフラするのは自然なことだから、それと別の面=努力=をもって、結婚生活は維持されているものですよ。
 敢えて言うなら…こんな事かな?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
好きな人同士が結婚するではなく同意したから一緒にいる。私はその通りです。
元々好きな人は過去にいました。でもその人と一緒にはなれませんでした。
周りの人にも優しい人だから一緒になったと言えるようになりたいです。

本当にありがとうございました。

ありがとうございます。

薬依存…そうです。なかなか薬を後少しの所から減らせていません。
私の考え方中心というのも、おっしゃる通りです。なので違くなってしまうと苦しいのも事実です。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ